1972年発表! 田中角栄「列島改造論」は借金・利権の元凶か、それとも過疎地の“救世主”だったのか
列島改造の理念

『日本列島改造論』は、1968(昭和43)年に田中が自民党都市政策調査会長として発表した「都市政策大綱」をベースとしている。自民党総裁選挙を控え、著作とした発表されたのが『日本列島改造論』だった。政治家が書籍で自らの政策理念を語るというのは当時珍しいことでもあり、その後のいわゆる政治家本のはしりでもあった。
『日本列島改造論』の理念を簡単に説明すると、
「地方分散」
だった。当時は東京への一極集中が加速しており、地方都市部からの人口流出と過疎化、そして急速な経済成長による公害問題への対応が課題となっていた。
これに対して、田中は地方分散という考えを提唱する。その手段として挙げたのが、
・工業の再配置
・交通情報通信の全国的ネットワークの形成
だった。
東京を中心とするネットワークを形成したならば、東京への一極集中は止められない。むしろ地方と地方を結ぶネットワークを作れば、地方への分散が進む。田中は地方と地方を結ぶネットワークを作ることで、工業地域を地方に移転させ、都市部への人口集中を緩和させようと考えた。
京浜地区、京阪神地区などいわゆる太平洋ベルト地域に工業地域が集中しており、公害問題が発生していた。工業地域が集中しているために公害が発生しており、その問題も地方に工業地域を分散することで解決できるとした。
・高速道路
・整備新幹線
などのインフラ整備に注目が集まるが、それは通過点にすぎない(整備新幹線とは、1970年公布の全国新幹線鉄道整備法に基づき、整備計画が定められている北海道新幹線、東北新幹線、北陸新幹線、九州新幹線(鹿児島ルート)、九州新幹線(西九州ルート)を指す。東海道新幹線、山陽新幹線、東北新幹線(東京~盛岡間)、上越新幹線は日本国有鉄道(国鉄)などが建設したもので、整備新幹線ではない)。
ネットワーク化を進めることで工業地域を分散させる。工業地域が分散すれば、地方に産業が生まれ、地方都市への移住者が増える。それによって、東京への一極集中が緩和される。『日本列島改造論』は、
「インフラ整備」
をてこに地方の復活を掲げた政策だったといえよう。