1972年発表! 田中角栄「列島改造論」は借金・利権の元凶か、それとも過疎地の“救世主”だったのか
田中角栄の『日本列島改造論』で提唱された理念と、その後の公共事業との間には多くの食い違いがある。本稿では、これらを振り返る。
「日本列島改造論」の影響
『日本列島改造論』(1972年発行)は、著者の田中角栄が総理大臣になったこともあり、田中政権の政策の柱と位置付けられた。
政権発足後、列島改造ブームが起き、候補地となった地域では土地の買い占めが起きるなどした。田中政権自体は2年ほどで崩壊したが(1972~1974年)、
「高速道路網の整備」
などは形を変えて実現していった。そのため、田中角栄の「日本列島改造論」は田中の金脈政治や、野放図な公共事業と結び付けられることが多い。
しかし、日本列島改造論で唱えられた理念とその後の公共事業とは食い違う部分も多い。ここでは列島改造論を振り返ってみたい。