1972年発表! 田中角栄「列島改造論」は借金・利権の元凶か、それとも過疎地の“救世主”だったのか

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田中角栄の『日本列島改造論』で提唱された理念と、その後の公共事業との間には多くの食い違いがある。本稿では、これらを振り返る。

「列島改造論」の行方

高速道路(画像:写真AC)
高速道路(画像:写真AC)

 田中政権が崩壊した後、インフラ整備は対極の動きを見せた。

 鉄道に関しては、国鉄の赤字が深刻化し、国鉄再建法ができた。新規路線の着工は見送られ、かえって不採算路線の廃止が実施されることになる。

『日本列島改造論』で掲げられ、その後計画された整備新幹線の着工も見送られた。一方、高速道路については建設が続けられ、高速道路網が拡大していく。そして、情報通信については、全国的ネットワークの形成が実現することになる。

 このようにインフラ整備という観点から見ると、それぞれ異なる道筋をたどった。しかし、情報通信を除くインフラ整備は、『列島改造論』の理念とは異なる方向へと動いていた。

 政権崩壊後、インフラ整備は加速したが、日本経済の成長は平成になって止まる。経済成長は止まったものの景気対策の名のもとに高速道路や整備新幹線の整備が進められた。しかし、インフラ整備に伴う借金は膨らみ続け、地方対地方のような採算の取れない事業よりも東京と結ぶ路線が優先された。

 とはいえ、高速道路網が整備されたことで、工業地が地方へと分散する。地方自治体は雇用と税収を求めて工場を誘致した。工場には広大な用地が必要であり、東京などの大都市からの移設が行われた。『列島改造論』の唱える工業地の分散が徐々にではあるが実現している。

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