知の傲慢と対峙する「無知の知」とは何か?【リレー連載】本田宗一郎「わからないからいい」を再考する(1)

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わからないからいいんだね――。日本自動車界の伝説・本田宗一郎は、生前のテレビ番組で「無知の知」を説いた。現代社会は合理化が進み、物事の予測可能性は上がった。そしてビジネスマンは知識武装し、SNSは「知」と自己顕示欲に満ちている。そんな今こそ「無知の知」に立ち返り、知の傲慢と対峙すべきではないか。

「わからないからいいんだね」の本質

 一方、新技術の成功例としては、1970年に米国で成立した厳しい排ガス規制法「マスキー法」を世界で初めて通過させることに成功したCVCCエンジンがある。

 このエンジンは、1960年代半ばから大気汚染問題への対処法を研究していた若いエンジニアたちの努力の結晶だった。その意味で、若いエンジニアたちは、宗一郎が抱いていた「僕もわからんようなことをやってるから、私はうれしくて、希望に燃えているわけです」という思いを体現していた。

 エンジニアとしての、経営者としてのわがままが、ある意味でカリスマに不可欠であることに異論の余地はない。しかし、ただそれだけでは最終的には周囲から煙たがられて孤立するだけである。

 わがままで頑固だが、同時に人間としての温かみがあり、周囲への敬意もあった。筆者にとって本田宗一郎は、一代で大企業を築き上げた偉大な経営者という域を超えた、希代の“人たらし”である。そのような人物は、もう二度と生まれてこないかもしれない。

「わからないからいいんだね」

真の気づきへの道は、自らの無知をまず自覚することである。

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