能登地方はかつて「物流の大動脈」だった! 知られざる北前船の近代史を振り返る

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かつて日本海航路は日本の「物流の大動脈」であり、能登の福浦は現在の福井県、石川県、富山県の西回り航路の唯一の寄港地として選ばれた。北前船の船主たちは、それぞれの地元や北海道の経済発展に大きな影響を与えた。

「物流の大動脈」だった日本海航路

明治末から大正期に撮影した北前船
明治末から大正期に撮影した北前船

 2024年は能登半島を中心とした大きな地震で始まった。救助活動や復旧活動の大きな壁となったのが、地震による道路や鉄道などの寸断であり、こうした交通路の復旧が今後の復興の鍵になると考えられる。

 ただし、能登地方が以前からずっと交通の便が悪かった地域とはいえない。かつての日本では日本海の航路こそが

「物流の大動脈」

であり、17世紀後半に河村瑞賢(江戸有数の材木商)が整備した西廻り航路では、能登の福浦(能登半島の西側にある湊)が現福井県・石川県・富山県で唯一の寄港地として選ばれていた。

 今回紹介する中西聡『北前船の近代史(2訂増補版)』(成山堂書店)は、北海道から日本海を通ってさまざまな物資を運んだ北前船について、その特徴と、各地方の船主の経営や地域に与えた影響などを明らかにした本になる。なお、本稿の筆者(山下ゆ、書評ブロガー)が読んだのは2021年に出た「2訂増補版」であるが、2023年に「3訂増補版」も発行されている。本書を読むと、

・“江戸時代のもの”というイメージのある北前船の最盛期は明治になってから
・北前船の船主がそれぞれの地元や北海道の経済発展に大きな影響を与えていた

ということなどもよくわかる。

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