能登地方はかつて「物流の大動脈」だった! 知られざる北前船の近代史を振り返る
かつて日本海航路は日本の「物流の大動脈」であり、能登の福浦は現在の福井県、石川県、富山県の西回り航路の唯一の寄港地として選ばれた。北前船の船主たちは、それぞれの地元や北海道の経済発展に大きな影響を与えた。
北前船事業の衰退

20世紀に入ると、近代的交通網・通信網の整備とともに地域感価格差が縮小していき、北前船の事業も大きな利益を見込めなくなっていった。西村家も北洋漁業や定期航路の運航に活路を見いだそうとしたが、1920(大正9)年の恐慌に巻き込まれ、西村家の事業は終わりを告げている。
西村家のケースはあまりうまくいかなかったが、北前船の事業から汽船事業の経営に参入して成功したケースもある。
1906(明治39)年の時点で、日本郵船、大阪商船に次ぐ規模の船を所有していたのが、石川県瀬越の北前船主だった廣海二三郎(ひろうみにさぶろう)家で、三井物産の運賃積輸送などを担いつつ、日露戦争後になると朝鮮や香港、ロシア、南洋諸島などの航路に進出した。また、汽船の燃料である石炭を確保するために九州の炭鉱を取得したり、硫黄鉱山の経営も行ったりした。
同じ石川県瀬越の北前船主・大家七平家は、1902年に、日本の日本海沿岸の湊と
・ウラジオストク
・コルサコフ(樺太)
・元山(朝鮮半島)
などに寄港するという日本海を一周するような定期航路を開設しており、この時期の日本海が物流にとって重要な海だったことがわかる。
このように本書は、北前船に関する興味深い事実をいろいろと教えてくれる本である。今回の地震では先ほども述べたように時国家住宅が倒壊するなど観光資源も大きな被害を受けており、交通状況からもしばらくは能登地方には行きにくい状態が続く可能性もある。
できるだけ早い復興を願いながら、本書を読んで、この地域の海と船と人々が日本経済に果たした役割について考えてみるのもよいかもしれない。