リニア新幹線工事 川勝知事の発言がどんなに奇異でも、早期着工を目指すべきでない理由

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リニア中央新幹線の開業時期が不透明になってきた。2023年12月、JR東海は開業時期を「2027年」から「2027年以降」に変更することを決定し、国土交通省の認可を得た。公共事業を実施するにあたっては、反対派の声にも耳を傾け、それがどんなに奇矯なものであっても説得する努力が不可欠である。

公共利益と住民権利の調和

蜂の巣城を巡る紛争を描いた、松下竜一『砦に拠る』(画像:筑摩書房)
蜂の巣城を巡る紛争を描いた、松下竜一『砦に拠る』(画像:筑摩書房)

 反対運動が高まったにもかかわらず、建設省は事業の進行を止めなかった。住民の切り崩しを進め、1959(昭和34)年1月には土地収用法を利用して立木の伐採などを始めた。これが住民との対立をさらに先鋭化させた。

 住民たちが建設予定地に設置した監視小屋は、次第に強固なバリケードを持つ要塞(ようさい)となった。これが蜂の巣城である。

 それ以来、住民と建設省との衝突は繰り返された。一方、室原氏は何度も訴訟を起こし、

「法には法、暴力には暴力」

で抵抗を試みた。裁判では、事業認可の是非や土地収用法の適用が争われたが、いずれも室原氏が敗訴。1963年9月、事業中止の行政訴訟が敗訴に終わると、住民たちは次第に事業推進派に移っていった。

 同年、蜂の巣城は収用されたが、室原氏は私財を投じて新しいとりでを建設し、反対を続けた。1965年6月、第2の蜂の巣城が陥落。ダム建設が始まる頃には、反対派住民はついに室原氏だけになっていた。室原氏はもともとダムに反対していたわけではない。建設省の強引な姿勢を見て、自らの立場をはっきりさせたのだった。結局、室原氏はひとりで戦うことになった。

 この紛争のなかで、室原氏は裁判を通じて公共事業の問題を提起し、行政に大きな影響を与えた。公共事業では、事業の利益だけでなく、犠牲になる地域住民への対応が重要視されるようになったのである。

 1973年、「水源地域対策特別措置法」が制定された。これは、ダムによる水没で移転を余儀なくされた住民への補償や、地域振興策の整備などを定めた法律である。蜂の巣城の紛争は、開発地の住民が公共の利益のために不便を強いられてはならないことを示す契機となった。

 また、開発担当者が住民にどう接するべきかという教訓にもなった。建設省は強引な計画の結果生じた紛争に猛省し、1970年に室原氏が死去した際には九州地方建設局の所長が弔辞を読み、後に遺族と和解した。

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