セダン革命? トヨタ「カリーナED」が切り拓いた、“スタイル至上主義”とは何だったのか【連載】90’s ノスタルジア・オン・ホイールズ(5)

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1990年代は、バブル崩壊後も未来への夢と希望に満ち、国内の自動車産業も活況を呈していた。本連載では、当時のクルマ文化を探るとともに、興奮を読者に甦らせる。

異質な4ドアハードトップの挑戦

1985年8月に発売された初代「カリーナED」(画像:トヨタ自動車)
1985年8月に発売された初代「カリーナED」(画像:トヨタ自動車)

 1985(昭和60)年8月、バブル経済前夜というべき時代に「カリーナED」は誕生した。トヨタのラインアップのなかでは少々異質だったカリーナ・クーペの後継機種である。シャシーコンポーネンツはセリカと共通であり、カテゴリー的にはやや上級のスペシャルティカーというべき1台だった。

 この当時、トヨタは自社のラインアップのなかでは中核というべきコロナとその上位モデルだったカリーナに3ドアクーペを用意していた。しかしその性格はラグジュアリーともスポーツともつかないやや曖昧なものだったことは否めない。

 そうしたなか、トヨタは1980年から投入したマークII/チェイサー/クレスタを通じて初めて導入した4ドアハードトップが高い人気を集めることとなる。これらは形状的には4ドアセダンと同じだったが、ウエストラインから上のボディシルエットを小さくデザインしていたのが特徴である。

 こうしたデザインは実用性よりもスタイルを優先した4ドアという意味では、それまでのトヨタにはなかった異質なものだった。しかし折からの好景気をバックに、よりカッコよいクルマを求める層からの強い支持を獲得したのである。

 カリーナEDは、これら先行していた4ドアハードトップのスタイルを、その下のセグメントにまで拡大したことで誕生したモデルだった。トヨタとしては人気のボディデザインをより多くのモデルに採用することで、さらなる販売台数の拡大をもくろんだということである。

 カリーナEDは、発売直後から大きな人気を集めることとなる。確かに4ドアとしては車内も狭く、特にルーフラインを下げたことで頭上の圧迫感は気になるものだった。これはリアシートで顕著であり、背の高い人物がリアシートに座ると、頭がリアウインドーの内側に接触するレベルでの狭さだった。すなわち4ドア車としての使い勝手は全くよくなかったのである。

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