セダン革命? トヨタ「カリーナED」が切り拓いた、“スタイル至上主義”とは何だったのか【連載】90’s ノスタルジア・オン・ホイールズ(5)

キーワード :
, ,
1990年代は、バブル崩壊後も未来への夢と希望に満ち、国内の自動車産業も活況を呈していた。本連載では、当時のクルマ文化を探るとともに、興奮を読者に甦らせる。

バブル崩壊の影響

プレセア(画像:日産自動車)
プレセア(画像:日産自動車)

 カリーナEDは1993(平成5)年という早いタイミングでベースモデルのセリカとともにフルモデルチェンジを迎えた。これもバブル期の旺盛な市場での購買意欲をバックとした新車春投入計画ゆえのことである。しかし1993年という年は既にバブル崩壊に直面していたまさにそのときであり、販売台数は次第に減少して行くこととなる。

 カリーナEDは26万台余りを売り上げた初代に対して、2代目は販売期間が短かったため19万台の販売に止まることとなる。コロナEXIVの販売台数は単独では公表されていないため不明だが、おそらくカリーナEDと同レベルだったはずである。そして1993年からの3代目は1998年まで販売されたものの、その台数は11万台少々に止まった。

 時代は既に別の道を歩み初めていたこともあり、兄弟車のコロナEXIVとともに市場からはフェードアウトを余儀なくされた。

 ちなみに日産プレセアは1995年にフルモデルチェンジを実施したものの人気は下降する一方であり2000年モデルを最後に消滅した。初代の販売台数は検討した19万台余り。2代目は10万台弱である。

 マツダ・ペルソナはさらに早く、バブル崩壊直後の1992年に整理されている。マーケティング上の振り切りかたが極端だったぶん、その市場での命もまた短かった。

 バブル直前からバブル全盛期にわが世の春を謳歌(おうか)し、いずれもバブル崩壊とともにその販売台数を落とし消えていったこれらスタイル自慢の4ドアモデル。日本の自動車史のなかでは景気と社会全体の雰囲気にその去就を左右された、

「時代のあだ花」

的な存在だった。

 このカテゴリーには他に三菱エメロードやトヨタ・カローラセレス/スプリンターマリノといったモデルも投入されていたが、それらについては別の機会に書く。

全てのコメントを見る