「車両基地の移転を」 徳島県・後藤田知事が“県都改革”に猪突猛進すぎるワケ 地元議員からは単なる「ちゃぶ台返し」の批判も

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後藤田正純徳島県知事は整備場所の変更が繰り返されてきた新ホールの整備場所をまた変える考えを明らかにした。県都の街づくりを見直すためだとしているが、何があったのか。

明治初期は全国10位の人口

北口が開設されれば大きく変貌を遂げるJR徳島駅(画像:高田泰)
北口が開設されれば大きく変貌を遂げるJR徳島駅(画像:高田泰)

 後藤田知事が県都の姿を一新する街づくり案を打ち出した背景には、徳島市の深刻な衰退がある。

 江戸時代の徳島は阿波、淡路2国を治める徳島藩25万7000石の城下町で、四国最大の街だった。明治政府が1875(明治8)年にまとめた日本地誌堤要では、人口約4万9000人で

「全国10位」

だった。現代でいえば政令指定都市に入ってもおかしくない序列だ。

 しかし、特産品だった染料の藍が化学染料に押されて衰退すると、一気に低迷する。その後も太平洋ベルト地帯から外れたこともあり、地域経済が浮揚しなかった。現在の人口は約25万人で、四国4県都で最も少ない。

 徳島県全体を見ても地方創生先進地とされる「葉っぱビジネス」の上勝町や「サテライトオフィス」の神山町があるものの、年間宿泊者数やふるさと納税受け入れ額は最下位近くに低迷、山形県とともに全国にふたつしかない「百貨店ゼロ県」だ。

 人口減少や高齢化は今後さらに進む見通し。後藤田知事は

「あと10年もすれば地方創生の勝ち組と負け組がわかれる。県都の発展は県全体に影響する。徳島市が浮揚するこれがラストチャンス」

と訴えている。

 後藤田知事の街づくり案に対し、内藤市長は

「正式に話を聞いていないので、コメントできない」

とする談話を報道機関に出した。徳島市やJR四国との協議はこれからだ。今回の街づくり案がちゃぶ台返しに終わるのか、地方創生最後のチャンスをものにするのか、県民は注視している。

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