1970年代、東京・青山に新幹線「新東京駅」を作るウワサがあった!
新幹線が西に延伸され、並行して東北・上越新幹線やリニアモーターカー構想が議論されていた1970年代、「青山」に新東京駅を作るという計画が話題になったことがある。
活発だったターミナル駅論争

当時、東北・上越新幹線は1975(昭和50)年、成田新幹線は1976年の開業を予定していた。この計画で大きな論争となったのが、東京のターミナル駅をどこにするかということだった。
東北・上越新幹線のターミナル駅は、上野、池袋、新宿が熱心に誘致活動を行っていた。当時、東京都は都市機能の分散化(その後の副都心整備につながる)を計画しており、その手段として国鉄に新幹線駅の分散化を要請していた。
東京都の要請を受け、国鉄と鉄建公団は1971年に計画をいったん策定した。『読売新聞』1971年9月15日付朝刊は「誘致運動にケリ」と題する記事で、最終計画がまとまったことを報じた。
最終計画では、東北・成田新幹線は東京駅に、上越新幹線は新宿駅に設置されることになっていた。新宿駅が選ばれたのは、現在のタカシマヤタイムズスクエアの位置に新宿貨物駅があったからだ。
この貨物駅は、武蔵野線開業(1973年)後に廃止される予定だった。そのため、十分な用地があった新宿駅が新たな新幹線ターミナルに選ばれた。新幹線新宿駅計画はかなり具体的だったようで、『朝日新聞』1973年3月11日付朝刊で、運輸省は上越だけでなく北陸新幹線も新宿に乗り入れる方針だと報じている。