大都市圏から離れているのに、箱根が「大観光地」として発展したワケ
箱根は日本を代表する観光地である。インバウンド回帰で「箱根バブル」と呼ばれるほど、観光客でにぎわっている。そもそも、なぜ箱根は大都市圏から遠く離れているにもかかわらず、観光地として発展してきたのか。
「箱根バブル」の今、振り返る
箱根は日本を代表する観光地である。インバウンド(訪日外国人)の回帰で「箱根バブル」と呼ばれるほど、観光客でにぎわっている。2023年6月、箱根町は2022年の観光客数が前年比28.6%増の1736万人になったと発表した。また、2023年も年間2100万人を超えた2017年と2018年の数字に届く勢いだ。
そのにぎわいの中で気になるのは、なぜ箱根は、観光地として発展してきたのかということだ。
その背景にあるのは、大都市圏からのほどよい距離である。奈良時代、箱根はすでに温泉地として知られていた。それが栄え始めたのは江戸時代に入ってからである。1590(天正18)年に江戸に入った徳川家康が東海道を整備したためだ。
もともと、関東へ下る際に箱根山を越えるには、三島から御殿場を迂回し、足柄峠を越えて国府津に至る「足柄道」と、箱根山の尾根に登り、芦ノ湖から箱根権現を経て湯本に下る「湯坂道」があった(古東海道として残る)。江戸時代(1603~1867年)には、谷筋に新しい街道が設けられた。
箱根に箱根宿ができたのは1618(元和4)年。この頃、箱根はすでに湯治場として知られていたが、江戸時代後期になると、病気の治療ではなく
「娯楽」
として温泉を求める人が増えてきた。
江戸から遠く離れた箱根まで湯治に行くというのは不思議な気もするが(地図アプリで調べたところ、日本橋駅から箱根湯本駅まで道なりで89kmだった)、当時の人たちにとっては苦にならない距離だった。