大都市圏から離れているのに、箱根が「大観光地」として発展したワケ

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箱根は日本を代表する観光地である。インバウンド回帰で「箱根バブル」と呼ばれるほど、観光客でにぎわっている。そもそも、なぜ箱根は大都市圏から遠く離れているにもかかわらず、観光地として発展してきたのか。

進む鉄道整備

箱根(画像:写真AC)
箱根(画像:写真AC)

 これを受けて1875(明治8)年、旅籠屋の福住正兄(まさえ)らが中心となって、小田原から湯本山崎までの4.1kmの新道が開通した。従来の東海道を幅員5mに広げ、勾配を緩和した。

 開通後5年間は、人力車1銭、大八車7厘、小八車3厘の通行料が徴収された。このため日本初の有料道路という説もある。その後、箱根では道路建設が進み、1904年には現在の国道1号線にあたる宮ノ下~芦之湯~箱根間の道路が建設された。この道路建設は、明治以降の箱根の発展を支える要因のひとつとなった。

 その後、鉄道の整備が進み、1889年に東海道本線が開通すると、小田原や箱根は本線から切り離される危機にさらされた。そこで登場したのが、鉄道であった。

 1888年に小田原馬車鉄道が開通し、国府津駅から小田原を経由して湯本まで結ばれた。1892年に箱根電灯発電所が建設されると、馬車鉄道は路面電車規格で建設された小田原電気鉄道(現在の箱根登山鉄道)に発展した。

 1920(大正9)年に熱海線(丹那トンネル開通後に東海道本線となった部分)が開通すると、小田原発の路線は縮小されたが、その間に1919年に箱根湯本~強羅間の登山鉄道が、1921年にはケーブルカーが開通し、箱根への観光客を運ぶ観光地の主要路線となった(小田原電気鉄道の路線は1956年まで存続)。

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