「美人以外は受験NG」 今ならアウトな“客室乗務員”の昭和採用基準、ルッキズム批判時代に改めて振り返る

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長らく「華やかな職業」の代名詞とされてきた飛行機の客室乗務員。意外と知らないその歴史について、歴史をたどる。

緩和された募集資格とその後

飛行機(画像:写真AC)
飛行機(画像:写真AC)

 ここに、飛行機の大衆化という現象が加わる。

『物価の文化史事典』(展望社)によれば、1955(昭和30)年の東京~大阪間の航空運賃は6300円(現在の3万円台後半)となっている。これが1975年には1万400円となっている。価格が上がっているように見えるが、実際にはインフレが進行しているためで、現在の物価では2万円を切るくらいだ。

 価格下落で乗客が増え航空便も増加したため、客室乗務員の数もおのずと増加していった。

 客室乗務員の数が増えるにつれて、その価値にも変化が訪れる。『サンデー毎日』1968年3月17日号には「スチュワーデスに“美人”は減った?」という記事が掲載されている。前述のとおり、現在では問題のあるタイトルだが、文中には重要なことが記されているのだ。

 それは、日本航空が1967年から募集要項の「容姿端麗」を外しているのだ。記事中には、同社の人事課長の発言が掲載されている。

「いわゆる美人を締め出すようになったのは、客層が、かってのようにエリートだけではなくなったこともありますね。(中略)いまでは、農村からのお客さんも多いし、あらゆる階層にサービスできる人、あらゆる階層に喜ばれる人でないといけないということです」

 週刊誌というメディアの特性上、容姿端麗の話題ばかりに重きが置かれているが、実際には1960年代後半から、航空会社各社では「英語能力」「身長」「体重」などの条件が緩和し、人材の確保を行うようになっていた。

 こうして、客室乗務員は

「良家の出が数年間勤務する職業」

という束縛から外れ、誰もがなれる可能性のある職業に変わった。こうしたなか、1968年の神田外語学院スチュワーデス科を皮切りに、客室乗務員の受験産業も誕生している。

 しかし、その後も「未婚」「30歳定年」といった条件はなかなか緩和されなかった。日本で真に客室業務員が職業として確立されたのは「ママさんスチュワーデス」が誕生した

「1981年以降」

のことであった。

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