「美人以外は受験NG」 今ならアウトな“客室乗務員”の昭和採用基準、ルッキズム批判時代に改めて振り返る
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長らく「華やかな職業」の代名詞とされてきた飛行機の客室乗務員。意外と知らないその歴史について、歴史をたどる。
厳しすぎる募集資格

そして、1951(昭和26)年に設立された日本航空が「エアガール」の採用を始めた。このとき、新聞に掲載された募集資格は次のとおりである。一目瞭然、対象が極めて限られている。
・年齢:20~30歳
・身長:158cm以上
・体重:45~52.5kg
・容姿端麗
・新制高校卒以上
・英会話可能
・東京在住
採用人員はわずか12人で、「履歴書写真上半身全身各一身長体重記載同封郵送」とある。
1950年代の女性の高校進学率は4割程度である。その上で、東京在住かつ英会話が必須となっている。「容姿端麗」という条件も時代を感じさせる。ルッキズム(外見至上主義)が問題化される現在だったら大問題になるだろう。
また、新制高校卒以上とあるが、実際には旧制女子専門学校(現在の短期大学)卒業の者が多かった。つまり最初から、採用は
「良家の出」
に絞られていたのだ。それでも応募者数は約1300人に上った。履歴書審査で175人まで絞られ、面接には40人が残った。さらに身体検査が実施され、最終的に15人が採用された。
当時の女性誌『新女苑』1951年11月号には「あこがれエアガールに訊く」とタイトルで、採用された女性3人による座談会が掲載されている。ここで女性のひとりは採用試験について、次のように説明している。
「最初はやはり、身長が幾らで、容姿端麗で、英語が話せて、東京在住という人たちが履歴書を出しまして……」
これだけでなく、当時の雑誌には採用された15人の女性へのインタビューなどが多く掲載されている。内容は志望動機や仕事の内容などばかり。それだけで記事が成立したことから見ても、この時期の客室乗務員が、一般人ではなくスター扱いだったことがわかる。