「都電荒川線」はなぜ残されたのか? 素朴なギモンに回答する

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荒川区の三ノ輪橋停留場から新宿区の早稲田停留場までを結ぶ荒川線は、唯一現存する都電だ。いったいなぜ残ったのか。沿線のグルメとともに紹介する。

最盛期の乗降客数は1日「193万人」

都電荒川線(画像:下関マグロ)
都電荒川線(画像:下関マグロ)

 都電はかつて、東京の街を縦横無尽に走っていた。筆者(下関マグロ、フリーライター)が上京した1980年代、その多くは廃止され、残っていたのは都電荒川線だけだった。「ひとつだけ残った」という事実に、なんともいえない哀愁を感じた。そのため、できるだけ多く乗りたい・見たいと考え、早稲田停留場の近くに住んだこともあった。

 都電荒川線は「ちんちん電車」とも呼ばれ、1両編成の姿がとても愛らしい。現在はワンマン運転だが、かつては車掌が乗っていた。「ちんちん」の由来は諸説あるが、乗客が全て乗ったことを車掌が運転士に知らせるため、ベルをちんちんと鳴らしたことから――といわれている。その音は今も健在だ。筆者は、その音を聴きたいがために乗ることもあった。

 都電の最盛期は1943(昭和18)年で、1日平均

「193万人」

もの乗降客があった。系統も41系統を数え、営業キロ数は

「約213km」

に及んだ。しかし高度経済成長期になると、道路には自動車が増え、都電は「時代遅れ」の乗り物になっていく。交通渋滞の元凶などともいわれ、時間通りに運行されない都電に乗る人は減少した。そして赤字路線が増加。当時、東京都は都営地下鉄の開発も進めていたため、都電は1967年から少しずつ廃止されていった。

 呼び名は市電、都電と変わったが、2017年からは「東京さくらトラム」という愛称が採用された。ただ、まだなじみがないからか、運営する東京都交通局のウェブサイトなどでは「東京さくらトラム」「都電荒川線」が併記されている。本稿では、昔ながらの都電荒川線で記す。

都電荒川線だけが残った理由

専用軌道を走る都電荒川線。学習院下から鬼子母神(きしもじん)前へ。2008年撮影(画像:下関マグロ)
専用軌道を走る都電荒川線。学習院下から鬼子母神(きしもじん)前へ。2008年撮影(画像:下関マグロ)

 それはそうと、なぜ都電荒川線だけが残ったのか。

 実は、都電荒川線も廃止される予定だったのだ。それを免れた理由としてよく語られているのが、

「専用軌道(道路以外の軌道)の区間が長かったから」

というものだ。都電荒川線に乗ってみると、確かに自動車などと並走する区間はわずかである。廃止された都電は自動車と並走することで、渋滞に巻き込まれ、定時運行ができなくなっていった。

 理由はもうひとつある。それは

「バスへの代替が難しかったから」

だ。多くの都電は代替され廃止したが、都電荒川線と並走する明治通りは当時、渋滞がひどく、バスの定時運行ができない可能性が高かった。また、地元の存続への思いが強かった、乗降客の減少が他の都電と比べて少なかった、という理由もあったといわれている。

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