「東京ディズニーランド」「東京ドイツ村」 なぜ千葉県の大型施設には「東京」がよく使われるのか

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千葉県では大型施設の名称に「東京」が頻繁に使われている。なぜか。千葉県のイメージの変遷をたどる。

成田空港が1978年にオープン

成田国際空港(画像:写真AC)
成田国際空港(画像:写真AC)

 1970~1980年代の千葉県は他県に先んじて首都圏の都市基盤を担う大型施設の誘致に注力し、箱物行政を強力に推し進めていた。1978(昭和53)年には新東京国際空港がオープン、さらに

・成田国際空港都市構想
・幕張新都心構想
・かずさアカデミアパーク構想

からなる「千葉県新三角構想」が計画された。

 当時の為政者には、県内まったく新しい土地に作り変え、東京都の一部として発展していこうとする強い意志が働いていた。そのころの千葉県は首都圏といっても、実際は

「どこにでもある地方都市」

の様相を呈しており、「千葉県」という言葉には田舎のイメージがついて回っていた。

 また、ベッドタウン化が進展しはじめていた県西部も、地域によっては駅周辺に昔からの歓楽街があり、住宅地としてイメージが悪かった。千葉県の成長のためにはイメージの刷新が急務だったのだろう。この時期から「東京」を冠する施設が多く開発されるようになった。

大型開発のとん挫 = むしろ幸い?

幕張新都心(画像:写真AC)
幕張新都心(画像:写真AC)

 しかし、バブルの崩壊に伴い、このような箱物開発も多くが破綻する結果となった。新東京国際空港は農業の盛んな地域に強引に開発したことから農家との闘争が続き、なかなか拡張することができなかった。後になって、国際空港としては

・都心部から離れすぎている
・危機管理の観点から臨海部に開発すべきだった

など問題点も露呈した。

 幕張新都心も1989(平成元)年に中核施設となる「幕張メッセ」をオープンさせたものの、すぐに景気が後退してオフィス需要は苦戦した。鳴り物入りだった房総半島の大型リゾート開発もとん挫して、結局ゴルフ場のみが残った。

 しかし、千葉県の漁業や農業の新鮮な食材や豊かな里山は、まさに現代の都市生活者が保養地に求めているもので、重要な地域資源といえる。

 近年、房総半島には農業をベースにしてSDGsやグランピングなどを取り入れた新しい感覚の施設が次々に生まれ、かつて希求されていた若い女性の集客も見られる。バブル期の多くの大型開発がとん挫したことで、このような資源が残ったことはむしろ幸いだったのだろう。週末は、千葉県の新しいに施設に遊びに行かれてはいかがだろうか。

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