暴力的なワイルドさ! スポーツカー「シェルビー・コブラ」を襲った知られざる苦難と奮励ヒストリーをご存じか

キーワード :
, , , , ,
キットカーの人気モデル、シェルビー・コブラ。その歴史は、アメリカを代表するレースカーを目指した苦難と奮励に彩られている。

危機を救ったシェルビー、思惑とは

 ACカーズにとってこの通告はまさに晴天の霹靂(へきれき)であり、早急に手を打たなければACエースの生産は中止せざるを得なかった。

 この問題に対して手を差し伸べたのが、かねてからACと交流があったアメリカのレーサーだったキャロル・シェルビーである。

 シェルビーは、同じく交流があったフォードから、新型のV型8気筒であるウインザーブロック260の供給を取り付けた。そして同時に、ACエースのシャシーにフォードエンジンを搭載した完成車を、シェルビーの名で生産する契約まで成立させたのである。

 シェルビーが迅速に動いた背景には理由があった。

 少し前からシェルビーは、自身の名を冠したクルマを通じて、世界耐久選手権のGTクラスを戦うことを計画していた。

 そのためには、強力なレースカーを市販車として最低100台市販することがレギュレーションで定められており、シェルビーは対象となるクルマを模索していたのである。

 ACカーズのエンジン難は、ACにとっては不運なことではあったものの、結果的にACとシェルビーの双方にとってメリットがあったことから、契約は滞りなく締結された。

 1962年7月から、カリフォルニア州ロサンゼルス空港近くのベニスビーチにファクトリーを構えていた、キャロル・シェルビー率いるシェルビー・アメリカンでは「シェルビー・コブラ」と銘打った極めて刺激的なスポーツカーの生産を開始することとなったのである。

全てのコメントを見る