「最速のファミリーカー」を目指した昭和ホンダ! 失敗から生まれた名車をご存じか
太平洋戦争をへて、高度経済成長を迎えようとしていた時代、ホンダが東京モーターショーに全く新しい小型4ドアセダンを投入した。その「ホンダ1300」が体現した同社の理想とは――。
失敗から生まれた実用性とハンドリング
さらに1970(昭和45)年春には、足周りにさらに手を加え、スタビリティの向上を図ったクーペを投入したことで、市場からの評価は幾分改善されたものの、DDACの問題はその後も評価に暗い影を落とす原因となった。
これらが本質的な意味で改善されたのは、エンジンを水冷SOHC4気筒1433ccに変更したホンダ145となってからのことである。
ホンダ1300から145に至る系譜は、ホンダの歴史において多分にマイナスイメージとともに語り継がれているのは、紛れもない事実である。
しかしこの失敗があってこそ、いたずらにピークパワーだけを追い掛けることなく実用域での扱いやすさと優れたハンドリングを実現したホンダ・シビックが誕生したと言えなくもない。
そういう意味では、「失敗は成功の元」を地で行った存在だったのかもしれない。