赤字ローカル線の廃止がもたらすのは「希望」か「焦土」か 専門家も意見二分、昭和の徳島を襲った最悪事例から考える
徳島県小松島市の外開地区。同地区はかつて国鉄小松島線が走っていたが、その後廃止。周辺の商店街の店舗は次々にシャッターを下ろした。赤字ローカル線の廃止について考える。
中心商店街に壊滅的な打撃
赤字ローカル線が廃止されると、その地域はどうなるのだろう。学術論文では意見がわかれているようだが、徳島県には壊滅的な打撃を受けた地方自治体がある。通りに空き地と駐車場が目立ち、廃屋となった店舗が少なくない。営業している店舗は古い建物が大半を占める。徳島県小松島市外開の二条通商店街。かつて徳島県内第2位の売上高を誇った繁華街の名残はどこにもない。
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「時代の流れとともに寂れつつあったが、国鉄小松島線の廃止でとどめを刺され、街の活気も客足もすべて消えた。今も鉄道があればここまで街が落ちぶれることはなかったのに」。
スナックを経営していたママさん(75歳)は、人通りの少ない街を眺めて表情を曇らせる。
徳島県東部中央にある小松島市は戦後、小松島港とともに発展した。それを支えたのが国鉄小松島線だ。小松島線は関西と四国を結ぶ旅客船の発着場まで乗り入れて船車連絡を実現し、四国の東玄関と呼ばれた市の全盛時代を支えた。
小松島線は、小松島市小松島町外開の小松島駅と小松島市中郷町長手の中田駅を結ぶ1.9kmだが、もともとは徳島本線(現・徳島線)の起点駅として徳島市の徳島駅を経由して徳島県西端の三好市にある阿波池田駅まで運行していた。しかし、路線変更で中田~徳島間が牟岐(むぎ)線に編入され、小松島~中田間だけが小松島線になっていた。
港と隣接した位置にある市中心部は、二条通、三条通、千歳橋、鳳栄町など多数の商店街があり、市外から大勢の買い物客を集めて百貨店や映画館、ナイトクラブも営業していた。人口4万人程度の街なのに、10万人都市に匹敵する勢いが商店街にあった。