日産・ルノー「関係見直し」に残る多くの課題 両者はなぜ契りを結び、今日まで歩んできたのか?

キーワード :
, ,
日産とルノーが協議を続けている資本関係見直しが、11月8日のルノーの投資家説明会、15日の正式発表を目指して佳境を迎えている。

経営危機に際しルノーと提携合意

日産自動車のウェブサイト(画像:日産自動車)
日産自動車のウェブサイト(画像:日産自動車)

 日産は「技術の日産」と呼ばれるくらい、世界的な評価の高い自動車メーカーである。また、1980年台後半に誕生したシーマは、「シーマ現象」という流行語を生み出すなど、一時期は上昇気流にのっているかに見えた。

 しかし、バブルの崩壊とともに状況は一変した。官僚的かつ内向きな旧態依然とした経営、高コスト体質が足かせとなり、1999年に経営危機を迎え、約2兆円の有利子負債を抱えるに至った。このとき、倒産の危機にひんしていた日産に手を差し伸べたのがルノーだった。

 日産とルノーは、1999年3月にグローバルパートナーシップに合意、調印した。このとき、ルノーは約50億ユーロ(当時の為替レートで6340億円)を出資し、日産自動車の株式36.8%、および日産ディーゼル工業の株式22.5%を取得した。これにより、ルノー・日産アライアンスとしてともに歩むこととなる。

 翌年2000年6月、ルノーから派遣されたカルロス・ゴーンが社長に就任。以降、

・日産リバイバルプラン(NRP、2000年10月~)
・日産180(2002年4月~)
・日産バリューアップ(2005年4月~)

と、中期経営計画を策定し着実に実行していった。この間、自動車事業実質有利子負債は一掃され、2004年度末には、2058億円の実質キャッシュを有しているくらいだった。

 もちろん、この成果は

・村山工場閉鎖をはじめとする合理化
・部品メーカーの整理
・土地や株式の売却

などの痛みを伴ってもたらされたものだ。とはいえ、当時の日本はバブル崩壊の後遺症に苦しんでおり、旧態依然とした日本的な村社会を打破するドラスチックなカルロス・ゴーンの改革は、ある意味斬新かつお手本のようなものだった。

全てのコメントを見る