スパイクタイヤを廃止せよ! 80年代の仙台を襲った「粉じん被害」と戦った市民・新聞の軌跡をご存じか

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1970年代まで広く使われていたスパイクタイヤによる公害が、1980年代に入って発覚。そこから闘いが始まった。

全廃という理想と、現実の狭間で

仙台の冬景色(画像:(C)Google)
仙台の冬景色(画像:(C)Google)

 しかし、スパイクタイヤの全廃は容易に進まなかった。なぜなら、冬に発生するスリップ事故を防ぐために極めて有効だったからだ。

 宮城県警察本部は、1981年12月から1982年3月までの4か月間におきたスリップ事故のデータをもとに、スパイクタイヤ以外のタイヤによる事故率はスパイクタイヤを装着した車の

「2倍強」

と分析。ゆえに事故防止には有益であるとして、代替の新タイヤや路面の凍結防止技術が開発されない限り、規制は無理という見解を示した。

 タイヤ業界も同様の見解を示し、1983年には全廃が困難なため、ピンの数を減らし、突き出しを2mmから1.5mmにする自主規制で対応する方針を示している。環境悪化の原因であることが明らかになっても、安全走行のためにスパイクタイヤが欠かせないのも、また事実だったのだ。実際、仙台市の西北部は住宅団地が広がる丘陵地帯で、降雪も多く、規制されては移動が困難になるという声が強かった。

 現在、一部の緊急自動車や指定地域などを除いて、スパイクタイヤの使用は原則禁止されている。しかし、当時の議論で原則禁止は非現実的だと考えられていた。スパイクタイヤの規制で日常生活に支障が出ることの危惧は根強く、1983年3月に『河北新報』が仙台市の後援で開催した「スパイクタイヤ問題シンポ 私たちは何をすべきか」では、さまざまな意見が出ている。

 例えば、自動車の運転に冬免許を導入するというものだ。スパイクタイヤで路面が削られる原因として、ドライバーの運転技術の未熟さも指摘されていたことから、出てきた意見である。雪道の運転に自信がない人は冬に運転させないようにして、自動車の交通量を減らして粉じんを防ぐというものだった。

 また、交通量を減らすためにバスの利用を積極的に勧めるという提案もなされている。さらに珍奇なアイデアとしては、気象条件によって、スパイクタイヤを使ってよい日とだめな日を決めて、テレビとラジオで毎日広報するというものもあった。

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