スパイクタイヤを廃止せよ! 80年代の仙台を襲った「粉じん被害」と戦った市民・新聞の軌跡をご存じか

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1970年代まで広く使われていたスパイクタイヤによる公害が、1980年代に入って発覚。そこから闘いが始まった。

新聞社に届いた一通の投書

スタッドレスタイヤ(画像:写真AC)
スタッドレスタイヤ(画像:写真AC)

 降雪地帯を安全に走行する人にとって、スタッドレスタイヤは欠かせない存在だ。スタッドレスとは「鋲(びょう)がない」を意味し、同タイヤの普及以前に使われ、同じく雪に強かったスパイクタイヤと対比するために命名された。スパイクタイヤがスタッドレスタイヤに転換したのは、地方新聞社に寄せられた環境悪化を訴える住民からの投書がきっかけだった

 スパイクタイヤは1959年、フィンランドで開発された。タイヤチェーンのように装着の手間がいらないことから、1970年代までに日本でも広く使われるようになった。冬の定番アイテムとしての地位を確立したスパイクタイヤだったが、その動きに待ったがかかったのは、1981(昭和56)年のことだった。

 同年1月27日、東北6県を発行エリアとするブロック紙『河北新報』夕刊に、一通の投書が掲載された。タイトルは「なぜ仙台の街はほこりっぽいのか」。その内容は、スパイクタイヤによって路面が削られているのではないかと訴えるもので、発がんの原因ともなる粉じんを防ぐため、

・スパイクタイヤの使用規制
・清掃の徹底

を図ることが主張されていた。

 仙台市では、それまでも粉じんの増加が指摘されていた。1979年には、仙台市が公害白書に降下ばいじんが冬季に増加していると記している。その粉じんのひどさは「仙台砂漠」とやゆされるレベルだった。そのため、行政も投書に注目した。

 1981年3月、仙台市では「道路粉じん問題研究会」を設立、スパイクタイヤとの因果関係を検証し始めた。そして同年11月、スパイクタイヤが粉じんの原因であるとする結果を公表した。

 宮城県も環境庁(現・環境省)を通じて、外務省に諸外国のスパイクタイヤ規制状況の調査を打ち出すなど、行政の動きは活発になった。1982年に入ると、仙台市は公用車のタイヤからスパイクの抜去を実施するまでに。当時の島野武市長は議会で「規制が必要」と答弁し、公用車でのスパイクタイヤ使用の全廃とともに、バス、トラック、タクシー業界への使用自粛を呼びかけた。