東京湾発「長距離フェリー」の現在 環境意識の高まりで注目、令和の船旅のありかたとは
クルーズフェリーの登場

1980年後半、プラザ合意による急速な円高がもたらした原油価格の下落は、フェリー業界に恩恵をもたらした。バブル景気にともなうリゾート開発で観光需要が拡大、国内の旅行者数も急増したのだ。
この時期、豪華な客室とパブリックルームをもつ大型船、いわゆるクルーズフェリーがあいついで新造された。
中でも注目されたのが、名古屋~苫小牧を結ぶ太平洋フェリーで、1987(昭和62)年から1991(平成3)年にかけて総トン数1万4000t、200m近い船体をもつ
・きそ
・きたかみ
・いしかり
が就航した。豪華な船内設備と長い乗船時間を生かしたさまざまな旅客サービスは後継船に引き継がれ、現在も人気を集めている。
異色な存在として、名古屋から沖縄の那覇、石垣島を経由して台湾の基隆に至る国際航路があった。1970年代から続く那覇~基隆航路を発展させたもので、2008年まで運行されている。就航船の「クルーズフェリー飛龍」「飛龍21」は、大部屋を廃して個室を充実させたゆとりある船内が特徴だった。
東京発のフェリー事情

バブル崩壊後の1990年代以降、フェリー業界に再び苦難が訪れる。
・原油価格の高騰
・RORO船(貨物専用船)との競合
である。
さらに、2000年代後半の高速道路料金値下げは大きなダメージとなり、日本各地で減便や航路廃止が進んだ。
かつては北海道や西日本各地、そして沖縄へと、数多くの便が運行されていた東京発のカーフェリーも、この時期に次々と消えている。
観光路線としても需要のあった北海道航路にもその影響がおよんだ。多くの船舶で混雑する東京湾口の浦賀水道は厳しい速度規制があり、房総半島を回ってから北上するルートは大きな時間のロスがあったのである。
東京と苫小牧、釧路を結ぶ航路はどちらも船内2泊の行程だったが、東京外環自動車道や常磐自動車道の開通によって、北海道航路の拠点は茨城県の大洗港に移動。航行時間は大幅に短縮している。