JR東海「名松線」に押し寄せる合理化の波! 2度の廃線危機を乗り越えた過去、沿線住民の熱意はいつまで続くのか
復旧費用の分担で廃線回避

当時思い出されたのが、国鉄時代に起きた1982(昭和57)年の反対運動だった。
沿線はもともと、香良洲町・一志町・白山町・美杉村(以上、現・津市)、嬉野町・三雲町(以上、現・松阪市)からなっていた(その後、「平成の大合併」で、津と松阪のふたつの市のいずれかと合併した)。1982年の台風被害で廃止寸前になった際、五つの町村は廃止反対で協力した。1983年からは、存続運動の一環として「名松線駅伝(一志郡町村対抗駅伝競走大会)」を開催。これは、合併前の2004(平成16)年まで続いた。
こうした背景もあり、人口が少なく利用者の絶対数が少ないとはいえ、存続に向けた意志は強かった。2010年1月には、津市だけで11万人の全面復旧を求める署名が集まり、国交省に提出されている。
さらに、津市は復旧に向けて財政負担を明言した。三重県も独自調査によって、台風被害は
「周辺の斜面や渓流の川床の土砂が流れたもので、治山ダムが効果を発揮している」
として、JR東海に真っ向から反論した。
こうした沿線からの復旧要求を受けて、JR東海は廃止方針を撤回。2011年5月に
・三重県:治山工事
・津市:水路整備
・JR東海:鉄道復旧
をそれぞれ担う形で、約17億円の復旧費用を分担することが決定した。
迫りくるバス転換

そして2016年3月、名松線は6年半ぶりに全線復旧した。まさに、沿線住民の存続を願う声が実を結んだ結果だった。こうした経緯もあり、名松線は現時点で廃止議論とは縁遠い。
しかし、将来安泰ともいい難い。観光需要があるとはいえ、将来の黒字化は見込みにくい。伊勢奥津駅のある津市美杉地域の人口は2008年1月で6250人だったが、2022年1月には3809人まで減少している。
リニア中央新幹線への投資を進める一方で、JR東海の「ローカル線合理化」は急速に進んでおり、バス転換はそう遠くない未来に再び浮上することになりそうだ。道路事情も次第に改善しているなか、「鉄道でなければ」と抗すのも次第に困難になっている。
沿線住民の熱意によって、2度も廃線危機を免れた名松線はこれからも存続できるのか。いまだ不安は尽きない。