昭和の大都市で繰り広げられた熱き狂乱 電鉄系「百貨店戦争」をご存じか
近年店舗数が急速に減少しているものの、かつて電鉄系百貨店による覇権争いが各地で見られた。その歴史を振り返る。
「百貨店戦争」とは何か
鉄道事業者はわが国の都市計画に深く関わってきた。多くの中心都市が鉄道事業者によって形作られていったと言っても過言ではない。
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そのなかで、百貨店は都市開発の黎明期に、私鉄系デベロッパーが都市基盤拡充の一環として開発を推進した商業施設の代表格だ。近年はその百貨店も店舗数が急速に減少しているが、かつては百貨店による覇権争いが各地で見られた。
高度経済成長期からバブル期にかけて、百貨店は駅前商業地などの都市の中心繁華街に積極的に開発されていった。広域からの集客力があり、都市の文化的機能も担ったため、当時は最も求心力のある商業施設だった。
そのため、百貨店はその都市の商業の顔として位置付けられ、百貨店によって都市のブランディングが左右されることもあった。私鉄系デベロッパーの多くが自社ブランドの百貨店チェーンを展開して各地に出店し、さらに老舗の大手百貨店チェーン、ローカルチェーンである地元百貨店などが駅前商業地に乱立したことから、時として都市における百貨店の覇権争い、いわゆる
「百貨店(デパート)戦争」
が始まった。
当時は熾烈(しれつ)な競争社会だったので、このようなネーミングが好まれて付けられたこともあるが、百貨店の場合は繁華街の比較的近い位置に顔を突き合わすような形で出店しあい、商圏もまったく重層したことから、より一騎打ち感があったと言える。
また、それだけ当時の百貨店は力が拮抗(きっこう)する複数の有力ブランドがあり、ステータスのブランドとして、お互いの威信をかけて出店していた。