昭和の大都市で繰り広げられた熱き狂乱 電鉄系「百貨店戦争」をご存じか

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近年店舗数が急速に減少しているものの、かつて電鉄系百貨店による覇権争いが各地で見られた。その歴史を振り返る。

大阪でも戦争が

ノースゲートビルディング(画像:(C)Google)
ノースゲートビルディング(画像:(C)Google)

 1980年代までは時代の兆児だった西武百貨店が優勢だったが、1992(平成4)年に東武百貨店は起死回生の大規模リニューアルを敢行する。8万3000平方メートルもの床面積への大増床であり、これは当時の百貨店では国内最大級の規模だった。業界では「池袋デパート戦争」として注目された。

 東武百貨店はメトロポリタンプラザなどを新たに増築、本館ではメンズフロアやフード・飲食店フロアを拡充。正直なところ、広すぎてショッピングしにくいという印象を持ったが、この増床によって東武百貨店が攻勢に出る。

 その後は景気後退や事業体の吸収・合併などによって、いずれの百貨店も紆余(うよ)曲折をたどることになるが、現在も池袋駅の西と東で並び立っており、近年は池袋の顔同士として連携する動きも見られる。

 2010年代前半には大阪でJR大阪駅新北ビル・ノースゲートビルディング(大阪府大阪市)の開発をきっかけとして、百貨店の増床合戦となった

「大阪百貨店戦争」

が起きている。

 しかし、エリア全体として膨大な商業床が誕生することになり、それぞれに新しい機軸を打ち出したものの、その後、撤退する百貨店も出てきた。このころには、郊外にリージョナル型ショッピングセンター(広域から集客する大型ショッピングセンター)が台頭しており、幅広い商品やサービスを取り込んだことから、百貨店の市場を吸収するようになっていた。

 その一方で、百貨店のなかには消費者の節約志向を受けてカジュアル路線に変更し、百貨店と名乗りながらも、内容的にはショッピングセンター化する傾向も見られ、業態のボーダレス化が進展していた。

 現在、都心部では百貨店名義での新規施設の開発はほとんど見られなくなった。かつてデパート戦争のあった銀座では、銀座大通りに面していた松坂屋銀座店がGINZASIX(東京都中央区)へと姿を変えている。

 銀座などの都心の中心商業地はインバウンドの急増により、新たな商業開発シーンに突入している。今はむしろ本来は百貨店が得意としていた分野のニーズが拡大している状況だ。やや高額であっても

・高付加価値な商品のニーズ
・文化性の高い商品のニーズ
・「コト消費」ニーズ

などである。

 私鉄系デベロッパーにも新しい商業施設の投入が見られる。新たな時代の百貨店と言える商業開発に期待したいところだ。改めて百貨店に足を運んでみてはいかがだろうか。

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