昭和の大都市で繰り広げられた熱き狂乱 電鉄系「百貨店戦争」をご存じか
銀座と池袋でぼっ発
比較的近年の事例を振り返ると、有名なものでは、1980年代の「銀座デパート戦争」がある。
元々銀座は国内有数の百貨店の集積地だったが、そこに有楽町西武と有楽町阪急からなる複合商業施設・有楽町マリオン(東京都千代田区)が殴り込みをかけた。特に西武百貨店は初の都心進出で、その意気込みもただならなかった。受けて立つ既存の老舗百貨店は、銀座全体のマーケットの底上げを期待するとして受け流したものの、若い層に人気の高かった西武百貨店の進出に内心穏やかではなかっただろう。当時の都市型商業施設のメインマーケットは20~30歳前半の女性など若い層が中心で、中高年を顧客とする老舗百貨店はやや時代の波に乗り遅れていた感もあった。
では、この戦いの軍配はどちらにあがったのか。有楽町マリオンは中央通路を挟んで半分が西武百貨店、半分が阪急百貨店という2核構造の変わった造りで、最上階にはシネコンが導入された。1984(昭和59)年10月6日のオープン当日には、施設規模が比較的小さいという事情もあったが、利用者が殺到して館内に入場しきれなくなり、待機列が外周を何周もするほどの人気ぶりだった。
商品は若い女性が好むライフスタイル提案型のラインアップで、シンボルの大型からくり時計「マリオンクロック」の下はカップルの待ち合わせ場所としても混雑した。オープン当初、有楽町マリオンの人気は圧倒的だった。
しかし、その後バブルが崩壊すると、そのあおりを受けてセゾングループは解体、西武百貨店はそごう・西武体制となり、2010(平成22)年に有楽町西武は閉店する。翌2011年には空スペースにJR系の商業施設・ルミネ有楽町が出店している。
同じく2011年に有楽町阪急は阪急メンズ東京にリニューアルしている。老舗百貨店でも新しい商業施設に様変わりしたものがあり、銀座における商業の激動の変遷が感じられるところだ。しかし、さすがに長い歴史を誇る老舗の旗艦百貨店は現在もそのままのブランドで存続している。
同じく都心では「池袋デパート戦争」も起きた。都心のターミナル商業地である池袋は東口の西武、西口の東武がそれぞれ街の顔としてしのぎを削ってきた経緯がある。そもそも1940年代に後に東武鉄道と合併する東上鉄道と、西武鉄道の前身の鉄道事業者が山手線の池袋駅の東西に開業したことに始まり、1949年には前身事業者の百貨店を改名して西武百貨店が生まれ、1962年には東武百貨店池袋本店(ともに東京都豊島区)がオープンし、現在の状況が形成されている。