存続危機の地方航路 青森「シィライン」2023年廃止に見る、自治体間対立の闇

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2022年5月、青森市とむつ市脇野沢、佐井村を結ぶ航路事業を行うシィラインが2023年3月での航路廃止を決めた。その背景にあるものとは。

目立たない赤字航路の廃止

シィライン(画像:シィライン)
シィライン(画像:シィライン)

 昨今、赤字ローカル線の廃止がたびたび話題になっている。コロナ禍の需要減は公共交通の維持に大きな影響を及ぼした。話題になるのはもっぱら鉄道だが、それ以上に困難を抱えているのが航路だ。それも、ひっそりと消えている。

 2022年5月、青森市とむつ市脇野沢、佐井村を結ぶ航路事業を行うシィライン(青森県青森市)が2023年3月での航路廃止を決めた。

 この航路は、陸奥湾を迂回することなく下北半島と青森市内とを結んでいる。島ではないにもかかわらず離島振興法に指定された「生活航路」だ。通称でも

「離島航路」

と呼ばれている。それくらいに、辺境をつなぐイメージなのである。

 1971(昭和46)年以来、1日2往復が運行されてきたものの(季節により増減)、経営は常に苦しかった。過疎地ゆえに人口増はまったく想定できず、国や県、関係市町村の補助で赤字を補填しながら運行しているという状況が続いてきた。

人口減少が原因

むつ市脇野沢(画像:(C)Google)
むつ市脇野沢(画像:(C)Google)

 過疎地の生活航路となったのは、やはり時代の変化によるものだ。

 船が寄港するむつ市脇野沢は、かつて日本海交易の寄港地として栄えた。しかし、鉄道輸送への変化で海上交通は衰退した。航路は一度消滅したものの、1968(昭和43)年に下北半島国定公園が国定公園に指定され、観光開発が進んだ。

 これを見て下北汽船(現・むつ湾フェリー)が、現在の航路を1971年に復活させた。陸上よりも圧倒的に移動時間を短縮できるため、観光客から地元民までが利用するようになった。しかし、繁栄は続かなかった。もっとも大きな理由は、人口減少である。

 1920年の第1回国勢調査の際、脇野沢の人口は2398人だった。その後、増加に転じ、1960年には4742人にまで増えた。しかしその後は減少が進み、2020年には1221人になっている。

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