時代が追いつかなかった傑作? いすゞが90年代に示した「SUV進化の源流」をご存じか
国内の新車販売でSUV比率が30%を超える現代、その源流を辿れば一台の「予言書」に行き着く。いすゞ自動車が1997年に放った「ビークロス」だ。販売数は1751台と稀少だが、四半世紀も前にバックカメラやSUVクーペの概念を具現化した先見性は驚異的といえる。時代が追いついた今、その遺産を経済的視点で読み解く。
撤退の裏に潜む妥協なきモノづくり

1999(平成11)年2月、国内での幕引きを前に「175リミテッドエディション」が175台だけ売り出された。日本での総販売台数は1751台。発売からたった2年ほどで姿を消したビークロスだが、その短命な歩みの裏には、当時の市場の空気といすゞという会社の置かれた状況が複雑に絡み合っていた。
まずは、世のなかが求めていたものとのタイミングの問題だ。都会派SUVの代表となるトヨタの初代ハリアーが出たのは1997年12月。ビークロスが世に出てから、まだ8か月ほどしか経っていない頃だ。当時のヒット作だったトヨタのRAV4やホンダのCR-V、そしてハリアーも、ふだん使いの乗り心地を優先した乗用車仕立ての作りで、広く受け入れられていた。
一方のいすゞは、どこまでもタフなビッグホーンの骨組みを使い続けた。全長4130mmに対して全幅1790mmという、短くて幅の広い3ドアの体つき。それは走りの鋭さを追い求めた結果だったが、家族で使う便利さを求める当時の感覚とは、少し離れた場所にあったのだろう。ラリーに出ることも考えた足回りは、荒れた道での安定感や走り抜ける力を重んじており、作り手の好みが色濃く出たものだった。
いすゞ自体の商いの方向が変わったことも大きい。1993年にはすでに、普通の乗用車を自社で作る道から身を引き、商用車やSUVへ力を注ぐ形へと移り変わっていた。こうしたなかで、鉄の板と樹脂のパーツを狂いなくつなぎ合わせる作業には、かつての名車「117クーペ」を手がけたような熟練職人の手仕事が欠かせなかった。
量産の手間を度外視したようなこの作り方は、質の高さを生んだ一方で、作れる数には限りがあった。採算よりも良いものを作ろうとする姿勢こそが、今の市場でも特別な価値を持つ理由なのだろう。