東京は時代遅れなのか?――ニューヨーク「8万台」が突きつけるライドシェアの圧力、タクシー王国・日本が「利便性」の波を拒む一線の正体
ライドシェア定着と供給過多の構造

ニューヨークの街角でUberを立ち上げると、その利便性の高さに改めて気づかされる。筆者(武田信晃、ジャーナリスト)が先日訪れた取材先でも、当然のようにこのサービスの利用を勧められた。現地の市民からは
「安くて安心、なにより便利だ」
という声がしきりに聞かれる。そこではライドシェアが、既存のタクシーと同じように人々の暮らしのなかに深く溶け込んでいる。
使い勝手の良さも特筆すべき点だ。「今すぐ」か「予約」かを選び、行き先を入れる。すると、地図上には到着までの時間とルートが即座に浮かび上がる。多彩な車種や料金プランから好みのものを選べば、あとは車のナンバーを確認して到着を待つだけだ。ニューヨークでは2018年に車両数が8万台に達し、2020年のロサンゼルスでは10万台を超えた。この圧倒的な供給量が競争を生み、ドライバーの評価制度とともにサービスの質を底上げしている。
米国でこれほどまでに普及した背景には、既存の移動インフラが抱えていた隙間がある。都市部には地下鉄が張り巡らされているが、そこから一歩外れれば、流しのタクシーを見つけるのは至難の業だ。車がなければ立ち行かない広大な土地で、Uberは個人の持ち物である自家用車を、価値を生む資産へと変えた。かつては維持費を垂れ流すだけだった存在を、空き時間を使って利益を稼ぎ出す手段に作り変えたのだ。
この仕組みがもたらしたのは、労働のあり方における高い柔軟性だ。いわゆるギグワークという働き方が市民権を得たことで、乗る側と運ぶ側の双方が恩恵を享受している。車両が密集するニューヨークでは、配車を頼んでから車が届くまでの時間が、公共交通の待ち時間や遅延のリスクを下回ることも珍しくない。この盤石な供給力が移動のロスを削り取り、ライドシェアを替えのきかない社会基盤へと押し上げた。