「ピーク旅客数は256万人…」 100年の歴史刻む“日本最北の私鉄”を襲った不測の事態――止まったストーブ列車、収益と地域に広がる影響とは
営業収益1.5億円規模の中で数千万円の減収――。ストーブ列車の運行中断は、津軽鉄道の収益構造の脆さを露呈した。訪日客増と運賃倍増で25.9%増収を達成した矢先の失速。地域観光を支えてきた列車の停止は、地方私鉄の経営の限界を映し出す。
開業期の困難と災害の重なり

津軽鉄道は、JR五能線の五所川原と津軽半島内陸部の津軽中里を結ぶ、全長20.7kmの地方私鉄である。第三セクターなどを除くと、日本で最も北を走る私鉄だ。1928(昭和3)年に会社が発足し、1930年に五所川原~津軽中里間の全線が開業した。
青森県中里町立博物館の企画展に関する資料などによれば、開通した昭和前期は、1927年の金融恐慌に加え、天候不順による凶作や岩木川の氾濫といった災害が続いた。用地の買収や線路の工事も思うように進まず、出発時から厳しい状況に置かれていた。
開業後は、戦前から戦中にかけて曲折を経たものの、戦後は列車本数の増加や休止していた停留場の再開、経営の引き締めなどにより業績は持ち直した。1957年に五所川原市で平和産業博覧会が開かれた際には年間旅客数は135万人に達し、さらに1974年には高度成長期や団塊世代の進学需要を背景に256万人となり、最多を記録した。
しかしその後は、少子化や人口減少、中心市街地の空洞化、郊外型大型店の広がりによる人の流れの変化などを受け、利用者は減少を続けている。近年は20万人前後にまで落ち込んだ。
同社が公表した損益計算書(2024年4月1日~2025年3月31日)によると、鉄道事業の営業収益は1億5583万円、営業経費は1億6831万円で、差し引き
「1248万円の赤字」
となった。補助金1098万円などを加えた結果、最終的な当期純利益は626万円の黒字である。他の地方私鉄や第三セクター鉄道と比べると補助金への依存は低いが、鉄道事業そのものの赤字は長く続いている。