グーグルが隠した「無人タクシーの正体」――車は本当に“自律”していたのか? 事故が暴いた遠隔支援と統治の空白

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コロナ後に加速する自動運転実用化の裏側で、米ウェイモの無人タクシー事故が波紋を広げている。遠隔支援を担う人員の一部が海外に分散する実態が明らかとなり、安全性と国家安全保障の両面から規制論議が急速に高まっている。

曖昧な事故責任の所在

ウェイモ(画像:Pexels)
ウェイモ(画像:Pexels)

 運転席に誰もいないはずの自動運転車が事故を起こしたとき、その責任を誰が、どう背負うべきか。仕組みそのものか、画面越しに指図をしていた助け手か、あるいは動かしている企業なのか。実情がいくつも重なり合っていることが、判断をさらに難しくしている。

 とりわけ拠点が国境を越えている場合、どの国の決まりをあてはめるかという高い壁が立ちはだかる。被害を受けた人への埋め合わせひとつとっても、今のままでは出口の見えない迷路に入り込みかねない。ウェイモ側は、助け手に対して免許の有無やこれまでの仕事、薬の検査など厳しい条件を付けているといい張る。だが、それはあくまで個人の資質を問うているだけであって、仕組みそのものに潜む管理の穴を埋める答えにはなっていない。

 今回の事故は、技術の進歩に治め方が追いついていない現実を突きつけた。世に出す準備は進んでいるが、それを支える公のきまりはあまりに心もとない。もちろん、海外の知恵や人手を借りること自体を退ける必要はないだろう。話の筋道はそこではなく、動かす際のリスクをどう見極め、誰が最後に責任を取るのかという透明性が抜け落ちていることにある。安全への備えや外部からの攻撃、さらには部品などの集め方までが複雑に絡み合う今の状況は、これまでの決まりだけではもはや抱えきれない。

 日本も人ごとではないはずだ。動かす仕組みの置き場所や、移動にまつわる情報の国外への持ち出しについて、より踏み込んだきまりを考える時期に来ている。事業者は、人間がどの程度関わっているのかといった中身を隠さず、世の中に説明を尽くさなければならない。

 集め方の透明性を高め、危うさを取り除いた形を築けるかどうかが、これからの産業において企業の価値を分けることになる。便利さを求めるあまりに安全を差し出さないために、事業者と国は実情に合った協力の形を急いで探るべきだ。

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