「理屈では勝てるはずでした」――ホンダ2.5兆円損失計上にみる、知能だけでは突破できない「現実の壁」
労働の未来という難題

アモデイ氏のエッセイのなかで、もっとも分量が短いのが第五章の「労働と意味」である。彼自身も、この問題がいちばん答えにくいと認めている。
自動車製造の現場は、その問いの最前線にある。工場の自動化はすでにかなり進んだが、AIの導入によって流れはさらに速まるだろう。溶接や塗装、組立といった工程は、これからもロボットへと移っていく。テスラのギガファクトリーは、その先の姿を先取りした例といえる。
アモデイ氏は、比較優位の考え方に触れながら、短い期間で見れば人の価値は保たれ、報酬も上がる可能性があると述べる。AIが仕事の九割をこなしたとしても、残る一割で人は能力を強く引き出される。結果として賃金が上がり、新しい役割が生まれる余地があるという見方だ。
日本では関連産業まで含めると就業人口は約550万人にのぼる。そのうち直接ものづくりに関わる人は約80万人とされる。現場の技能工が長い時間をかけて身につけてきた感覚、たとえば音や振動から異常を見つける官能評価の力は、AIと高精度センサーによってデータとして蓄えられていく。ただ、アモデイ氏の論理に沿って考えるなら、人の役割は別の場所へ集まっていく。AIが示す膨大な選択肢のなかから、そのブランドにふさわしいものを選び取り、最終的な責任を引き受ける判断である。そこに審美眼や意志が残る。
もっと長い時間で見れば、話は簡単ではない。AIが広い範囲で役に立ち、しかも安く使えるようになれば、この論理は崩れるかもしれない。彼自身もその可能性を認めている。そのとき今の経済の仕組みは変わり、社会全体で新しい形を考え直す必要が出てくる。大きな規模のユニバーサルベーシックインカムや、AIが主導する経済の姿などが語られてはいる。ただ、どれもまだ輪郭ははっきりしていない。
彼がはっきり述べている点もある。人生の意味という問題は、経済より解きやすいという考えだ。多くの人はすでに、経済的な価値を生まない活動から意味を見つけている。ゲームやスポーツ、友人との会話。そうした時間のなかで満足を感じている。特定の分野で世界一になれなくても、上達の過程そのものに喜びがある。仕事でも同じことが起きる、という見立てである。
これからの労働者は、現場で手を動かす役割から少しずつ離れていく。代わりに、AIという巨大な仕組みを動かしながら成果を引き出す立場へ移っていく可能性が高い。製造業の価値も、体を使う作業から、AIをどう生かすかという感性と判断へと重心が移っていく。