「理屈では勝てるはずでした」――ホンダ2.5兆円損失計上にみる、知能だけでは突破できない「現実の壁」
知性だけでは越えられない壁

アモデイ氏は、労働や土地、資本といった従来の生産要素に、もうひとつの要素として知性を加えるべきだと述べている。大切なのは、どの要素が全体の前進を止めているのかを見極めることだ。空軍を例にすればわかりやすい。機体とパイロットは、どちらか一方だけでは成り立たない。機体が不足している状況でパイロットを増やしても、戦力は上がらない。
AIが広く使われる時代には、知性がどれほど役に立つのかを冷静に測る必要が出てくる。ある課題で知能を高めることが、本当に成果につながるのか。効果が出るまでどれくらいの時間がかかるのか。そうした見通しを持たなければならない。彼は、知性の働きを制限したり補ったりする要素として、五つの障壁を挙げている。
最初に現れるのは、現実世界の動く速さだ。知的な主体が成果を出し、そこから学ぶには、現実と向き合う必要がある。しかし物理の世界が動く速さには限りがある。細胞を培養するにも、化学反応を観察するにも時間がいる。これを大幅に縮めるのは難しい。ハードウェアの開発や材料研究、人との意思疎通、既存のソフト基盤も事情は似ている。科学の進歩は実験の積み重ねに支えられている。どれほど知能が高まっても、そこには短くできない時間が残る。がん治療の研究のような大きな計画では、物理の時間が大きな壁になる。
次に問題となるのがデータだ。基礎となるデータが不足していれば、どれほど優れた知能でも力を発揮しにくい。現代の物理学者が優れた理論を思いついたとしても、加速器から得られる観測データが足りなければ、どの理論が正しいのか判断できない。超知能が登場したとしても、巨大な加速器を造るしかない。
三つ目は、物事そのものが持つ複雑さである。三体問題のように、わずかな条件の違いで結果が大きく変わる現象は多い。こうしたカオス的な動きは予測が難しい。AIがいくら進歩しても、現在の計算機から飛び抜けて正確な予測を出せるとは限らない。
四つ目は、人間社会の制約だ。法律や倫理、社会の仕組みを無視して前に進むことはできない。臨床試験の規則や人々の生活習慣、政府の判断といった枠組みを尊重しながら社会を変えるのは容易ではない。原子力発電や超音速飛行、エレベーターなど、技術としては優れていても規制や不安のため広がりが遅れた例は少なくない。
最後に残るのが、物理法則という絶対の壁だ。光より速く移動することはできないし、熱力学の法則に逆らって現象を元に戻すこともできない。半導体の集積度、つまり平方センチメートルあたりのトランジスタ数にも信頼性の限界がある。計算に必要なエネルギー効率にも、これ以上は下げられない水準がある。
もっとも、こうした制約のすべてが固定されているわけではない。短い期間では動かせなくても、長い時間をかければ知性によって回り道が見つかることもある。動物実験の代わりに体外で学習を進める方法を見つけたり、新しいデータを収集するための大規模な実験設備を整えたりすることで、人間社会の制約を乗り越える可能性はある。
ただし、物理法則のような絶対的な制限は残り続ける。車両開発の現場を思い浮かべるとわかりやすい。AIがどれほど優れた構造案を示しても、金型を冷やす時間や塗装を乾かす工程といった物理現象は消えない。知性だけで短くできるものではないのである。進化の速さは、結局のところこうした現実の限界によって決まる。