駅前の「ゲームセンター」はなぜ姿を消したのか?――終電待ち30分を吸収した“時間バッファ産業”の消滅

キーワード :
,
駅前のゲームセンターは、移動の合間の滞留を受け止める「都市のクッション」だった。市場規模7200億円と回復する一方、地価高騰とスマホ化で空間は消滅。効率化が混雑と居場所の喪失を招き、都市の余白が失われている。

消滅後の都市生活

昭和~平成のゲームセンターのイメージ(画像:写真AC)
昭和~平成のゲームセンターのイメージ(画像:写真AC)

 前述のとおり、2023年度のアミューズメント産業は、店の売上高5384億円と機械の販売高1816億円を合わせて、7200億円に達した。2019年度を超える回復を見せているが、その中身は景品を取るゲームや、郊外にある家族向けの大きな施設に支えられたものだ。そのため、駅前が持っていた

「待ち時間をうまく使って、混雑をバラバラにする働き」

がなくなった問題の解決にはなっていない。街の移動をスムーズに進める視点から見ると、駅前にあったクッションのような場所がなくなることは、都市がトラブルに耐える力を弱める大きな問題だ。

 代わりとして注目されるカフェやシェアオフィスは、予約や会員登録、それなりの料金を払うことが必要だ。これらは、金を払えるかや、どんな人かによって入れる人を分ける

「決まりきった滞在」

であり、誰もが自由に入れるわけではない。駅のような場所からこうした受け皿が追い出されると、歩く人々は鉄道のスケジュールに無理やり自分を合わせるしかなくなり、改札やホームでの混雑のピークはさらに激しくなった。

 かつて駅前の施設が提供していたのは、椅子に座ってゲームに熱中し、学校や会社での役割から離れてひとりになれる時間だった。ただ今は、手元の小さな画面をずっと見つめ、ネットを通じて人からどう見られているかを気にする時間へと変わっている。

 一方で、自分の車を持っている人は、車のなかを移動の合間の個室として使えるため、自分で自由に休む時間を確保して、公共の乗り物の窮屈さから逃れている。ただ、電車やバスに頼るしかない人にとって、あてもなくその場で過ごせる場所がなくなったことは、移動のしにくさと心の重荷を増やす結果になった。

 効率を優先して、ゆとりを削り落とした街の作り方は、いろいろな立場の人がたまたま同じ場所で過ごす機会も奪い、街が人々を優しく受け入れる力も弱めているのだ。

全てのコメントを見る