「部下を守らない課長」「下請けを簡単に切り捨てる部長」上司を“覚悟の有無”で断罪しても全く意味がない理由【連載】上司ガチャという虚構(6)
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評価体系が生む合理性の罠

「部下を守らない課長」が生まれる構造には三つの理由がある。
ひとつめは、上司の責任と裁量のアンバランスだ。多くの中間管理職は、売上や進捗、トラブル防止といった重い責任と説明義務を背負っている。しかし人員の増強や配置転換、業務削減、メンタル不調者への配慮などの決定権は、上層部や人事・法務に握られていることが少なくない。その結果、上司は
「結果は出せ、だが手段は与えられない」
という出口のない状況に置かれる。現場で「もう限界だ」という声が上がっても、上司に納期を延ばす権限はなく、外注を増やす自由もない。結局、現場で取れる選択肢は「誰かに無理をさせて帳尻を合わせる」ことだけになる。守る意思があっても、それを実行する手段が手元にないのである。
ふたつめは、評価体系の偏りだ。評価の指標が「売上・原価・納期」に偏っていると、目に見えにくい「人員の保全」や「育成」は後回しにされる。採点されない仕事は、余裕がなくなれば真っ先に切り捨てられるのが組織の常だ。
「人を守った結果、数字を落とした」と説明するのは難しいが、
「数字を守るために厳しくした」
という理屈は通りやすい。制度が後者を評価する以上、人は合理的に後者を選ぶ。さらに皮肉なのは、本人も「管理職は強くあるべきだ」とその論理を内面化し、構造の問題がいつの間にか性格の問題として書き換えられてしまうことだ。
三つめは、過剰な業務負荷である。管理する領域や人数が増え、会議や報告、トラブル対応に追われると、部下ひとりひとりに向き合うコストが相対的に高くなる。相談に1時間応じれば、その分どこかで自分の穴を埋めなければならない。それが深夜残業でしか解決できないなら、長くは続かない。結局「今は無理だ」と突き放さざるを得なくなり、部下からは「守ってくれない」と映る。しかしこれは心が冷たくなったのではなく、組織が冷たくなっているからだ。坂道に置かれた石が転がるのは、気合いが足りないからではなく、傾斜があるからである。
厚生労働省の「労働安全衛生調査」でも、仕事上の強いストレス要因として「仕事量の多さ・業務の忙しさ」を挙げる人は約6割に上る。管理職層ではその傾向がさらに強く、業務の密度が高まることで時間的・心理的余裕を失いやすいことが示されている。こうした状況では、部下ひとりひとりに個別対応する時間を確保すること自体が難しくなり、守らないのではなく
「守れない」
という判断が合理的に選ばれやすくなる。