自動車整備士を「職人」と呼ぶのは時代遅れ?──「求人倍率5.5倍」でも人が来ない不人気業界、残る「言葉の問題」とは

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全国9.2万拠点、5.9兆円規模で移動と物流を支える整備産業が、求人倍率5.45倍、事業者退出445件という静かな限界に直面している。カギは「職人」という呼び名にあるのではないか。

美徳だが、賃金交渉には使えない言葉

整備士イメージ(画像:写真AC)
整備士イメージ(画像:写真AC)

「職人」という呼称は、これまで敬意を込めた美徳として語られてきた。ひとつひとつの仕事に誠実に向き合い、責任をもって仕上げる姿勢を象徴する言葉として、多くの場面で肯定的に受け止められてきたのである。しかし、この言葉は評価や報酬を巡る実務的な対話においては、また別の作用を及ぼしてきた。

 この呼称が使われる現場では、仕事の成果が労働時間や作業件数、あるいは生み出した付加価値といった客観的な指標から切り離されやすい。作業の結果そのものよりも個人の心構えや姿勢が強調されることで、

「好きでやっている」
「誇りがある」

という情緒的な論理に回収されていく。その結果、報酬に関する話題は経済的な合理性に基づいた交渉ではなく、個人の気持ちや覚悟の問題へと置き換えられてきた。

 本来、車両整備の価値は、不具合を未然に防ぎ、物流や人々の移動が滞りなく続く状態を維持することにある。だが、その成果は「何も起きないこと」であるため、外部からは価値の正体が見えにくく、評価の対象になりにくい。

 これまでは「職人」という言葉がその見えにくさを補ってきた側面もあるが、同時に成果を説明するための共通の物差しを導入することを難しくさせてきた。ユーザーに対しても、技術料を算出する根拠が個人の技量というブラックボックスのなかに隠されてしまい、透明性の高い価格転嫁を阻む要因となっている。

 有効求人倍率が5.45倍という深刻な人手不足に直面しても、待遇の抜本的な改善より先にやりがいや使命感が語られる傾向は根強い。仕事の重要性が強調されるほど、個人の献身に依存する構造が強まり、労働条件の議論は後景に退く。

 こうした言葉による固定化は、次代を担う若者にとっての参入障壁にもなっている。技能が個人の資質や天賦の才に帰属するとみなされると、育成にかかるコストや教える側の負担も当然のものとして放置されやすい。成長の道筋が個人の努力に丸投げされていれば、若い世代に将来の展望を見せることは困難である。

 人が現場を離れる理由も、業界の構造的な課題ではなく、個人の適性の問題として処理されがちだ。長時間労働や将来への不透明さがあったとしても、「覚悟が足りなかった」といった説明で片付けられてしまう。こうした語りは産業の運営側にとって都合が良い一方で、市場における労働力の健全な循環を妨げる深刻な歪みを生んできた。

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