トランプの制裁で消えた200機! 翻弄された「イラン航空」空白の10年とは
老朽化する航空機群

革命後のイランは、イラン・イラク戦争などで経済的打撃を受け、窮地に立たされた。2000年代以降は核兵器開発疑惑により、欧米諸国からの経済制裁が強化された。国際的孤立が進み、その影響は航空業界にも及んだ。2010年にはイギリス、ドイツ、UAEの3国がイランの航空会社に対し、空港での燃料供給を停止する事態に追い込んだ。
2011年10月5日には国際運送協会(IATA)が、航空会社や旅行会社間で行う銀行決済(BSP)の取扱も停止した。これによりイラン航空は航空券の販売ができなくなり、1974年以来運航してきた東京路線(当初は羽田、後に成田)も休止に追い込まれた。
さらに時が経つにつれ、航空機の老朽化も深刻化した。2015年時点でイランの旅客機の平均年齢は27年に達し、他国であればとうにスクラップになってもおかしくない年数であった。パーツの供給も闇市場で調達するなど、ギリギリの運営を続けていた。しかしそれにも限界があった。
イランでは1990年から2015年の25年間で200回以上の航空事故が発生し、2000人以上が死亡した。安全性への懸念は、2010年にEUがイラン航空所有のエアバスA320、ボーイングB727、B747全機をEU加盟国への乗り入れ禁止とする事態を招いた。これによりイランは主力の欧州路線からの航空需要を取り込めなくなった。
ただ1990年代から2000年代にかけて、イラン航空の傘下であるイランエアツアーは、ツポレフTu-154の導入を決めるなど、機材更新をあきらめてはいなかった。しかし2002年、イランエアツアー956便のTu-154がメヘラーバード国際空港周辺の山岳地帯に墜落し、119人が死亡した。この事故を受け、ツポレフ製航空機の使用は中止された。
厳しい経済制裁と航空機の老朽化による安全性懸念という、二つの苦境に直面したイラン航空業界は、国家関係という自らでは変えられない問題のために、存亡の危機に立たされたのである。