自動車ジャーナリストは「気楽な稼業」なのか? 単なる“辛口評価”では見えないメーカーの努力! 数百億リスクを背負う現場の価値とは

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電動車や自動運転の開発費は数百億円規模に達する。消費者は性能や価格だけを見るが、現場の設計や安全試験の努力が製品価値を決める。ジャーナリストには評価と現場の橋渡し役が求められる。

評価と現場の責任差

自動車(画像:Pexels)
自動車(画像:Pexels)

 当媒体は2025年9月24日、「自動車ジャーナリストはもはや「不要」なのか? 偏向&懐古趣味がネット時代の読者に響かない根本理由」という記事を配信した。執筆はモータージャーナリストの三國朋樹氏が行い、ChatGPTを活用して「ネット上で支持されない自動車ジャーナリストの特徴」を整理した内容である。

 企業に迎合して欠点に触れず褒めるだけの記事は、読者から信頼を失う。実用性やコストの視点を欠いた技術偏重の記事も評価されない。さらに、読者より上から目線で書く権威主義的な姿勢は反発を招く。最新情報を反映せず誤りが多い記事は信用を損なう。試乗や独自取材を行わず体験の乏しい記事も価値を下げる。読者を批判するような論調は信頼関係を崩す。過度に懐古趣味に偏った記事は幅広い支持を得にくい。制度や市場の動向を無視した表層的な記事も、読者には響かない。

 過激な自動車ファン(≒高齢者)と同様に、自動車ジャーナリストも読者との接点や情報の整合性が欠けると支持されない。未来の自動車ジャーナリストは、記事の独立性を保ちながら市場構造への洞察も加え、消費者に価値ある情報を提供することが求められる。こうした姿勢は、モビリティ市場全体の理解と発展にもつながる――というものだった。

 この記事を読んで筆者(山腰英二、カルチャー系ライター)が思い出したのは、ピクサー制作の長編映画『レミーのおいしいレストラン』(2007年公開)である。

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