自動車ジャーナリストは「気楽な稼業」なのか? 単なる“辛口評価”では見えないメーカーの努力! 数百億リスクを背負う現場の価値とは

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電動車や自動運転の開発費は数百億円規模に達する。消費者は性能や価格だけを見るが、現場の設計や安全試験の努力が製品価値を決める。ジャーナリストには評価と現場の橋渡し役が求められる。

ジャーナリストの使命

自動車(画像:Pexels)
自動車(画像:Pexels)

 冒頭の記事タイトルを思い返そう。

「自動車ジャーナリストはもはや「不要」なのか? 偏向&懐古趣味がネット時代の読者に響かない根本理由」

この問いは、職能の是非を問うだけではない。情報環境と市場の構造が急速に変化し、ジャーナリストの役割を再定義する必要性が浮かび上がっている。かつては、自動車情報の多くが限られた媒体で発信され、ジャーナリストは権威として消費者の判断を左右する存在だった。しかし現在は、

・SNSや価格比較サイト
・ユーザー生成コンテンツ

が普及し、情報は即時かつ多面的に流れる。この状況では、印象や権威だけに基づく評価は通用せず、読者は現場の努力やリスクを反映した分析を求めるようになっている。

 この構造的変化は、評価の意味そのものを変えた。電動車や自動運転技術では、開発費や安全試験、法規制への対応など、メーカーが負うリスクが従来より格段に大きい。ジャーナリストのレビューが市場印象を過度に左右すると、現場の努力や負担が軽視される危険がある。

 消費者は価格や性能、デザインといった表面的な指標に注目しやすいが、耐久試験や材料選定、環境対応といった内部の取り組みこそが製品価値を決めている。したがって、ジャーナリストは単なる評価者ではなく、現場の努力と市場判断をつなぐ橋渡し役としての役割を果たす必要がある。

『レミーのおいしいレストラン』でイーゴがレミーの料理に感動したように、正しい評価は現場の積み重ねと工夫を再認識させる契機になる。自動車業界でも、ジャーナリストの分析は消費者や投資家の判断を支援する一方、製品開発の本質的価値は現場の創意工夫とリスク管理にあることを理解しておく必要がある。

 批評が市場の印象を支配するのではなく、現場の努力を補完し、技術や経済判断の背景を明らかにする形で存在することが、現代の自動車ジャーナリストに求められる真の役割だろう。

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