自動車ジャーナリストは「気楽な稼業」なのか? 単なる“辛口評価”では見えないメーカーの努力! 数百億リスクを背負う現場の価値とは

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電動車や自動運転の開発費は数百億円規模に達する。消費者は性能や価格だけを見るが、現場の設計や安全試験の努力が製品価値を決める。ジャーナリストには評価と現場の橋渡し役が求められる。

評価と開発の隔たり

自動車(画像:Pexels)
自動車(画像:Pexels)

 例えば、日本市場における電動車の開発プロジェクトを見ると、メーカーは数百億円規模の開発費を投じ、テスト走行や安全基準の確認を繰り返す。消費者が評価するのは最終的な

・走行性能
・デザイン
・価格

だが、内部で行われる

・耐久試験
・材料選定
・環境対応

などは評価対象になりにくい。ジャーナリストのレビューは技術解説や試乗記として重要な役割を持つが、その評価が過剰に市場の印象を左右すると、開発側のリスクと努力が軽視される場合もある。

『レミーのおいしいレストラン』で描かれたもうひとつの教訓は、評価の結果よりも

「現場の創意工夫と実行力が製品(料理や車両)の本質的価値を決める」

という点だ。レミーのラタトゥイユは、家庭料理でありふれたものだった。しかし素材の選定、調理過程、味の調整という工程の精緻さによって、批評家の舌を唸らせた。自動車でも同様で、外部評価や消費者レビューでは測れない、内部の設計工夫や安全性確保の努力が最終的な製品価値を決める。

 現実の自動車ジャーナリストの役割を考えると、評価の正確さは重要だ。しかし同時に、製品側の努力や制約を理解し、過剰な批判を避けるバランスも求められる。特に新興市場や先端技術分野では、製品開発の不確実性が高く、短期的な評価だけでは価値を正しく判断できないことが多い。

 過去の成功事例として、トヨタのハイブリッド車開発がある。内部テストや信頼性試験に長年費やした努力が、後の市場シェア獲得につながった。表面的な評価だけでは理解できないこうした積み重ねが、最終的に消費者にとっての「価値」となる。

 この観点からすれば、ジャーナリストが市場や消費者に提供できるのは

・判断材料
・知見

にとどまる。製品そのものの価値に優劣を付ける行為は、現場の努力やリスクを正確に反映できない限り限界がある。評価を経済的に意義あるものにするには、レビューだけでなく、開発プロセスの透明性やデータに基づく比較分析、失敗と成功の双方の提示が不可欠だ。

 こうした情報提供のスタイルは、読者が単なる好みや印象で判断するのを避け、長期的な市場理解を促すだろう。

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