市電廃止が影響? 京都・西陣が繁華街から「地域密着の街」へ変貌した根本理由
京都市上京区の西陣は明治時代から高度経済成長期にかけて河原町と並ぶ繁華街だった。地域を取り巻く環境が変化するなか、大きく姿を変えた街を歩いてみる。
西陣商業衰退の背景

街が変わった原因はいくつか考えられる。ひとつが
「路面電車の廃止」
だ。バスの路線数や運行本数は十分にあるが、バスだけでは不便な場所というイメージがついて回る。衰退する映画館に代わって地域外から人を集める施設も生まれなかった。
この間、ライバルの四条河原町は大宮駅(中京区)止まりだった阪急京都本線が1963(昭和38)年、河原町駅(現京都河原町駅、下京区)まで延伸した。その後、百貨店の藤井大丸が近代的ビルに入り、阪急百貨店も進出するなど、商業集積を高めている。
西陣では2000年代、民間の「今出川通に路面電車を走らせる実行委員会」が白梅町-出町柳(左京区)間4.1kmに次世代型路面電車(LRT)を走らせる計画を打ち上げたが、
・京都市の財政難
・交通渋滞の悪化
を危惧する住民の声などから、実現しなかった。
西陣織の衰退を指摘する声もある。西陣機業調査委員会によると、市内にある織機台数は1966年の約2万台が2017年で約1300台まで減少した。その分、常連客となって街へ繰り出す織物職人が減ったわけだ。西陣織工業組合は
「和装の需要減で業界は右肩下がり。街の変化の一因になったのでないか」
と説明する。