八王子自動運転バス事故、軽傷3人でなぜ「大騒ぎ」? 日本のゼロリスク志向が招く技術停滞の危機
実証実験阻む制度壁
前述のとおり、公道実証に至るまでの行政とバス事業者の合意形成には時間がかかる。そのため、実現を急ぐあまりクローズド環境での試験回数やデータ量が不足する場合もある。研究者としては、この段階のデータ不足を懸念せざるを得ない。さらに、実証実験で自動運転システムを担うのは資本力の乏しいスタートアップが中心であり、長期耐久テストが得意とはいえない企業も多い。政策支援の不足も課題である。
海外と比べると、公的資金の持続的投入が弱く、同じ団体による補助金の繰り返し利用も排除される傾向がある。このため、実証実験前の試験から本番まで資金面で持続性を確保しにくい。事故発生時の責任制度も不透明であり、メーカー・運営者・自治体の分担が明確でない部分がある。こうした要因が重なり、制度と実証環境の不備につながっている。
一連の自動運転バス関連ニュースやコメントを振り返ると、日本では
「ゼロリスク志向」
が制度や世論に深く浸透していると感じる。人を傷つけないことを最優先するのは日本らしい文化である。しかし、技術の社会実装には試行錯誤のコストが不可避である。このコストを許容できない風土で、本当によいのかというのが筆者の問いである。結果として、文明の利器の導入スピードが遅れ、世界市場で後れを取る可能性もある。
特に2024年問題で地方交通の担い手不足が深刻化するなか、自動運転の遅れは社会的損失を増幅させるかもしれない。そもそも生活者側は、軽傷程度の事故で実験中止を望んでいるのだろうか。反対運動はほとんど見られない。残るは行政や事業者のマインドシフトである。死亡事故ゼロを前提に、
「未来社会に必要な技術であるため実証実験は続けるが、万一のけがへの補償は厚くする」
という姿勢で、一定の責任を負いながら実証実験を継続する方が社会のためになる。実験段階でけがゼロを求めるのは、やや極端な考え方ではないだろうか。