「クルマなし = 負け組」 なぜバブル期の若者はクルマで価値を競ったのか? 女子大生3割の意識が映す時代背景とは
1980年代後半から90年代初頭のバブル期、若者文化の中心にあった「クルマ所有」は単なる移動手段を超えた社会的象徴だった。女子大生の26%が「男性の魅力に車所有」を挙げた調査も示すように、クルマは恋愛・行動範囲を左右し、若者の自己表現と承認欲求を体現した。だが現代は多様化とデジタル化が進み、かつてのような「物=自己証明」の時代は終焉。経済成長の裏で揺れ動いた若者の真剣な挑戦から、自己位置づけと社会参加の新たな手法を探る必要がある。
湾岸を彩った複合型聖地

『東京クルージング・デートブック』では、当時の人気店「パイク・ファクトリー」が取り上げられている。湾岸の倉庫街に次々と誕生した“ウオーターフロント系”トレンディ店舗のひとつであり、日産のショールームを兼ねた複合型ショップだった。
店頭には、日産の人気モデル「パオ」と「エスカルゴ」が並び、オリジナルブランド「パオサイド」のグッズを扱う売場もあった。いずれの車種も、個性的なデザインで若者から高い支持を集めていた。
店内ではインド料理を中心とした食事を楽しめ、当時の日本では流通していなかった輸入音楽が流れていた。クルマの展示と飲食、音楽を融合させた空間は、ライフスタイル提案型の先駆けともいえる。
店舗の所在地は中央区勝どき。現在でこそタワーマンションが林立し、都営大江戸線でアクセスできるが、当時は鉄道インフラが未整備で、クルマがなければ訪れるのは難しかった。クルマを持たない人間は
「お呼びでない」
存在だったといえる。こうした時代背景のもと、クルマが行動範囲と社会的評価を左右していた。どれだけ人間的魅力があっても、クルマがなければ
「負け組」
と見なされる空気があった。だからこそ、多くの若者にとって格好いいクルマを所有することは、単なる憧れではなく、人生目標のひとつとなっていた。
理想の車種は、ポルシェやフェラーリ。助手席の女性に高速道路の料金を渡し、スマートに支払いを任せる――そんな光景を夢想する男性も少なくなかった。
もっとも、バブル景気といえど、それは一部の成功者だけが実現できる夢だった。外車は高嶺の花であり、怪しげな中古車ですら学生や若手社会人には手が届きづらかった。当時の若者は今よりも可処分所得が多かったが、それでも高級車を手に入れるには現実的な制約があった。