東武東上線の謎! “北西”を走るのに、なぜ「東上」なのか?

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東京・池袋と埼玉・寄居を結ぶ東武東上線。そのルートの裏には、渋川経由で新潟・長岡を目指した壮大な私鉄計画があった。山岳地帯に挑んだ幻の延伸構想と未成線の背景から、鉄道事業における資金、地形、需要予測という「三重の壁」が浮かび上がる。

4~5日を1時間に縮める挑戦

寄居駅の位置(画像:OpenStreetMap)
寄居駅の位置(画像:OpenStreetMap)

 東上線沿線の土地は、江戸時代まで新河岸川(現在の埼玉県南部を流れる川)の水運で大いに栄えていた。

 明治時代になると、この地域でも鉄道を求める声が高まった。川越周辺の商業者たちは複数の鉄道敷設計画を立てた。小石川下富坂町(現在の文京区小石川1~2丁目)から高崎を結ぶ日本興業鉄道や、池袋から川越を結ぶ京越鉄道などがあったが、いずれも実現しなかった。

 そのなかで現れたのが、新河岸川・福岡運河の船問屋「福田屋」10代目当主の星野仙蔵である。仙蔵は24歳で福田屋を継ぎ、自宅に剣道場を構え門弟は200人に達した。26歳で入間郡会議員、さらに県会議員にもなった。東京で育った経験から、鉄道が物流の主役になると確信していた。

 埼玉県は農産物に恵まれていたが、水運で浅草まで運ぶのに4~5日かかり、その地の利を活かせず産業の振興に限界を感じていた。

 仙蔵は34歳で衆議院議員に当選し、そこで後に東武鉄道社長となる根津嘉一郎と出会う。複数の鉄道計画の免許申請が却下されるなか、ふたりは意気投合し東京と川越を結ぶ鉄道計画を推進することになった。この計画の仮免許申請は1903(明治36)年に行われた。紆余曲折を経て、1911年に東上鉄道が設立される。

 仙蔵は県内の用地買収に積極的に取り組み、上福岡駅の建設には私財も投じた。こうして1913(大正2)年に工事が始まり、翌1914年に池袋から田面沢(現在の川越市駅)までの33.5kmが開通した。なお、上福岡駅の東口には仙蔵の功績をたたえる石碑が建てられている。

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