「不正が許せない」 ついに中央線グリーン車で“赤ランプ狩り”発生? SNSで広がる困惑の声、もはや「グリーン車警察」か? 自力救済が可視化する制度設計の限界とは
2025年3月、JR中央線のグリーン車に導入された新制度が、SNSで「グリーン車警察」の出現を招いた。善意の第三者による“私的検札”は、制度の設計ミスが引き起こした副産物に過ぎない。赤ランプ問題を根本から解消するには、誤解の余地をなくした「間違えようがない」設計が求められる。
公共空間の秩序崩壊リスク

そもそも、交通機関における運賃回収は、鉄道会社と乗客の間の契約である。違反があれば、鉄道事業者が罰則を科すのが原則だ。だが今回のように、制度の穴に対して
「自分がルールを守らせる」
と考える者が出現すれば、公共空間は急速に正義の奪い合いに転じていく。これを秩序の自主管理と歓迎するか、制度外の抑圧と見るかは立場による。
問題は、こうした現象が制度上の設計ミスに起因していることにある。制度が機能しないなら、私が代行するという発想は、商店街の自警団や私設交番のような歴史的な前例と共鳴するが、交通機関のような密閉された公共空間では、
「乗客間の相互監視」
を助長する副作用も大きい。公共空間の秩序維持において、責任の所在は常に明確でなければならない。
では、なぜ利用者は不正と見なされる行為に及ぶのか。その根底には、
「どうせバレない」
「来なかったらラッキー」
といった回避可能性への期待がある。グリーンアテンダントの巡回頻度が列車によって異なり、短距離区間では巡回が間に合わないケースもあるという。
ここで利用者のなかに芽生えるのは、本当は払うつもりだったが、チャンスがなかっただけだという自己正当化の余地である。罰則が厳しくなく、アテンダント対応も柔軟であればあるほど、その余地は広がっていく。
そして、私はちゃんと払っているのに、隣のあの人は払っていないという対価の不平等感が、制度そのものへの信頼を揺るがせていく。移動サービスにおいて納得できる仕組みが提供されなければ、支払いのインセンティブは持続せず、制度が形骸化するリスクが高まる。