「世界で一番嫌い」 マツコ・デラックスはなぜ「二子玉川」を拒絶するのか? 理想化された街に漂う“らしさ”の呪縛、再開発と多様性の葛藤を考える

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都市の魅力は単なる利便性や快適さにとどまらず、文化的・階層的な要素が複雑に絡み合う。マツコ・デラックスの発言が示すように、街の「らしさ」が人々の移動欲求に与える影響は深い。都市の再開発が進む中で、独自の価値観を持つ場所への関心が高まっている。都市と人々の関係性を再考することが、未来の都市形成の鍵となる。

都市間の文化的距離の拡大

赤羽(画像:写真AC)
赤羽(画像:写真AC)

 移動インフラの発達により、物理的な移動はますます容易になっている。だが、都市の意味的距離はむしろ広がっているように見える。例えば、小岩から二子玉川への移動に要する時間は電車で約40分ほど。だが、文化的・階層的距離は「40時間分」に等しい。

 この距離感は、単なる所得差では測れない。重要なのは、都市が自分に話しかけてくる声のトーンである。二子玉川は「こうあるべき」を囁き、小岩は

「どうでもいいよ」

と笑う。前者が緊張を生み、後者が弛緩を生む。人がなぜ特定の街に居着くのか。その答えは、移動の自由が保障された現代において、むしろどこにも属せないことへの恐れにある。だからこそ、逃げたくなるが逃げられない場所に、人は執着する。そこには、感情の根が張られてしまう。小岩のディープさとは、すなわち感情の残留に他ならない。

 近年、都市開発が進めば進むほど、整いすぎた街への反動として、あえて崩れた街に惹かれる人々が増えている。彼らは情報の洪水のなかで、選ばない自由を求める新世代だ。雑誌やメディアが推すおしゃれエリアに反発し、独自の審美眼で街を選ぶ。

 マツコが批判した「ファッション誌に書いてあることを鵜呑みにするやつら」という発言は、こうした都市嗜好の上書きへの警鐘である。つまり、再開発やブランディングがどれだけ進もうとも、それに抗う野性の審美眼は生きているということだろう。

 都市が階層の再編を試みるとき、しばしば“らしさ”という幻想がつくられる。二子玉川の“らしさ”、世田谷の“らしさ”。それに対して、小岩や赤羽は“らしさ”を拒否する。だからこそ、そこに住む人は自分のままでいられる。これは、移動の自由が生んだ定住の自己選択ともいえる。

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