「世界で一番嫌い」 マツコ・デラックスはなぜ「二子玉川」を拒絶するのか? 理想化された街に漂う“らしさ”の呪縛、再開発と多様性の葛藤を考える

キーワード :
, , , ,
都市の魅力は単なる利便性や快適さにとどまらず、文化的・階層的な要素が複雑に絡み合う。マツコ・デラックスの発言が示すように、街の「らしさ」が人々の移動欲求に与える影響は深い。都市の再開発が進む中で、独自の価値観を持つ場所への関心が高まっている。都市と人々の関係性を再考することが、未来の都市形成の鍵となる。

二子玉川が象徴する「人工的優位性」

二子玉川(画像:写真AC)
二子玉川(画像:写真AC)

 だが、そうした街が万人にとって居心地がよいかと問われれば、答えは否である。マツコが「世界で一番キライかもしれない」と断じたのは、ただの感情ではない。そこには、均質化された価値観に対する違和感、いわば

「選ばれし人の空間」

に感じる排除の論理がある。つまり、二子玉川の街は、「こうあるべき」が明確すぎる。

・身なり
・所作
・価値観

までもが自然と街の空気によってフィルターにかけられる構造がある。それは、無意識のうちに都市に対して順応を求める一方で、街に住む人の輪郭を削ぎ落としていく力でもある。前述の番組のインタビューに登場した世田谷区民女性の

「ここに住んでいるとセンスが磨かれる」

という言葉も、裏を返せば磨かれない者は淘汰されるという都市のコードを暗に示している。都市空間が豊かであればあるほど、人はその豊かさに同調することを求められる。その同調圧力こそが、マツコにとっての「無理」だったのだのではないか。

全てのコメントを見る