愛知と三重の「この場所」に、なぜ橋を作らないのか?

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1964年の構想から半世紀以上、実現を見ないまま議論が続いている「伊勢湾口道路」。当初は地域開発の象徴として期待を集めたものの、国土軸という抽象的な概念への疑問や、地域間の対立など、さまざまな壁にぶつかってきた。しかし、近年では「エイト構想」の一環として、交通ネットワークの拡充や災害時の代替ルートとしての役割が期待され、再び注目を集めている。本稿では、伊勢湾口道路が歩んできた道のりと、その未来の可能性について探る。

四全総が変えた運命

太平洋新国土軸を形成する海峡横断プロジェクト(画像:太平洋新国土軸構想推進協議会)
太平洋新国土軸を形成する海峡横断プロジェクト(画像:太平洋新国土軸構想推進協議会)

 しかし、1964年という早い段階でこの構想が提唱されたものの、その後の具体的な検討は遅々として進まなかった。転機が訪れたのは1987(昭和62)年である。

 この年、政府は「第四次全国総合開発計画(四全総)」を策定。この計画では

「多極分散型国土」

という新たな国土開発のコンセプトが打ち出された。これは、東京一極集中という課題を解決するため、全国の主要都市圏を強固な交通ネットワークで結び、それぞれの地域が独自の発展を遂げることを目指すものであった。この四全総において、中部圏で整備すべき重要インフラとして、次の五つの事業が示された。

・中部新国際空港
・東海環状道路
・伊勢湾岸道路
・東海北陸自動車道
・名古屋環状二号線

また四全総では、人口10万人以上のすべての都市を30年以内に高規格道路で結ぶという具体的な目標も掲げられた。高規格道路とは、全国的な自動車交通網を形成する自動車専用道路を指す。しかし、このなかで伊勢湾口道路は、本州四国連絡橋(本四架橋)に続く国家的プロジェクトとして期待されていたにもかかわらず、実際の四全総では

「検討課題」

という位置づけに留められてしまったのである。

 前述のとおり、四全総の最大の目標は、東京への一極集中を是正することであった。そのなかで、中部地方の開発方針は、名古屋市を中核都市として育成することに重点が置かれた。具体的には、名古屋市は

「世界的な産業技術の中枢圏域」

として位置づけられ、その機能強化のためにふたつの大規模プロジェクトが提示された。
・中部新国際空港の建設
・リニアモーターカーによる中央新幹線の整備

である。これらは、名古屋市の国際競争力を高めるための長期的な調査事業として計画された。さらに四全総では、

「東京圏の地域構造の改編を進めるとともに、関西圏、名古屋圏等において世界都市機能を分担する」

という方針が示された。

 また、四全総では中部圏の地理的な範囲にも大きな変更があった。それまでの第三次全国総合開発計画(三全総)では、名古屋圏は愛知県と三重県の二県で構成されていた。しかし、四全総ではこれに岐阜県を加えた東海三県が名古屋圏として再定義された。

 この再定義により、名古屋圏における

「三重県の位置づけ」

は大きく変化した。かつては愛知県と並ぶ名古屋圏の重要な構成要素だった三重県は、岐阜県が加わることで相対的な重要性が低下。さらに、開発の重点が名古屋都市圏の強化に置かれたことで、三重県南部の発展は優先度の低い課題となってしまったのである。

 このように、四全総の開発方針は名古屋市の機能強化に重点を置き、その周辺部の開発は二次的な課題として位置づけられた。特に三重県南部を含む伊勢湾沿岸地域の均衡ある発展を目指した伊勢湾口道路の構想は、名古屋市の国際競争力強化という新たな方針の前に、優先順位が下がり、実現への道が閉ざされることとなったのである。

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